…それだけが俺の真実
第7話
3階の三上と渋沢の部屋。 その前に笠井は立っていた。 少しばかり躊躇いながらも笠井はその部屋のドアをノックする。 「笠井です」 するとカチャリとドアは内側から開き、三上が姿を見せた。 「ああ、悪ィ。ちょっと辰巳のとこに出かけてくっかから、待ってろ」 三上はそう言って、出ていった。それに「はい」と返事をして笠井は入れ替わるようにして部屋の中へ入った。 …多分ノートの貸し借りだろう。 笠井はそんなことを考える。 この部屋のもう一人の所有者である渋沢はいない。 東京選抜は今日から遠征だ。今回はやや長い。 その挨拶に学校へよってから出発するのだと笠井は藤代から聞いていた。 何度も出入りして見慣れたその部屋を笠井はくるりと見回した。 と、その時不意に電子音。 「携帯?」 携帯の着メロが流れ出す。 見れば三上の机の上に置かれた携帯が振動と共に音を発していた。 笠井は近づく。 ――ミズノタツヤ ディスプレイに表示されたその名に、笠井は思わず拳を握りしめていた。 そう、そのことで笠井は部屋を訪れていたのだ。 …気が付かないふりをして誤魔化し続けていたこと。 それももう限界まで来ている。 自分が、ではない。 三上の方がもう限界に来ている。 でも決して自分で言うことはないだろうから…。 笠井はふっと笑った。 それは悲しげで、でも覚悟を秘めた笑みだった。 ・・・・・ 「で、何だった?」 部屋に戻るなり、俺はそう切り出した。交換してきたノートをポンとデスクに放り出す。そして笠井を見た。 …そう、笠井は用がなければ滅多にこの部屋に来なかった。 まぁ、渋沢という同室者がいることもあるのだろう。 だが笠井はすぐには答えなかった。 それに俺はピンと来た。…来るべき日が来たとでもいうのか。 ――沈黙。 やや重たい空気が部屋を包んでいる。 「はっきりさせておきたいと思ったんです」 やがて、笠井はそう言った。 その瞳は真っ直ぐと俺を見ている。 「…何を?」 そんなことは訊くまでもなかった。 そう、どこかでわかっていた。 そして言われるのを待っていた。…本当なら自分が切り出さなければいけなかったはず。 そんなところでまで俺は笠井に頼っていたのだ。 「先輩の側に俺はずっといられると思ってました。でも先輩が側にいたい人間は違うんですよね」 そんな笠井の言葉は、その通りで。 俺は返事ができない。 「…さっきも。電話、かかっていたんですよ。水野から」 笠井はそう言った。 弾かれたように振り返ってしまう。 ――水野からの電話。 ひょっとしたら初めてかもしれない。 携帯の番号を教えたって、水野は一度も掛けてきたことなんてない。 いや、それ以前にあれ以来会ってさえいない。 一体何があったというのか? 遠征直前に掛けてくるなんて。いや、遠征直前だからかもしれない。 「…何で最初にそれを言わなかったんだ」 俺は思わずそう言っていた。咎めるつもりではなかったが。すると、 「いつも言わなかったのはそっちじゃないですか?」 そう笠井は悲しげな目でそう言った。 それにハッとする。 …そうだ、悪かったのは俺。 どれだけコイツを傷つけたら気が済むっていうんだ。 そんなことにも気が付かずに。 「ごめん」 俺はそう詫びるしかなかった。 そして走り出す。階段を一段飛ばしで降りると、靴を履いて寮を出た。 笠井は後を追っては来なかった。 ――水野。 …そうだ。 俺はそうしてまで、誰かを傷つけたってお前を手に入れたかったんだ。 ようやっとわかったんだ。 だから、俺は走るしかない。 ・・・・・ 雨の中、傘も差さずに走る。 すれ違う人の目など気にしない。 俺はただひたすらに走った。 試合の時でもこんなには走らないんじゃないかと思うほどに。 ただ、今追っているのはボールではなく、ただ一人の姿。 俺は青のユニフォームの10番の幻を見たような気がした。 追い続けたいと思ったモノ。 そして求めたいと思ったモノ。 確かに自身でその場所を取りたいとも思っている。 だけど、一緒に戦えたらどんなにか。 そしてその笑みをすぐ横で見られたら…。 そんなことを俺は思った。 そして、交差点に差し掛かったところで――。 飛び込んできたヘッドライトに目が眩んで思わず目を閉じた。 …覚えているのは、スリップと急ブレーキの音。 気が付いたら身体に衝撃が走っていて、地面は近かった。 そして、水たまりに自分の血が流れていくのを俺はどこか他人事のようにぼんやりと眺めていた。 ――事故か。 …罰が当たったんだろうか。 そんなことを考えながら。 「三上さん!!」 音に気が付いてやってきたのだろうか。 笠井が顔色を変えて俺を覗き込んでくる。 それに 「ごめんな、笠井」 そう言うのが精一杯だった。 「しっかりしてください、先輩!!」 笠井のその声も遠くなる。 確実に薄れていく意識の最後、俺が見たのは、 あのちょっと澄ました顔、初めてあった時見せられた不敵な笑み、怒った顔。 そして、いつか見た微笑み。 「……みず、の」 こぼれたのはその名。 だが、それは自分で聞き取るのもようやっとで、すぐに水たまりに溶ける。 そこで、俺の意識は途切れた。 to be continued... |