…君に会いたい ただそれだけ

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第8話


 
 出掛けに掛けた電話は繋がらなかった。

 今日から選抜は少し長い遠征で、これでしばらくは掛けられないだろう。
 …せっかく掛けたのにとは思わない。
 帰ったら、今度こそ三上にちゃんと言うつもりで。…何をかは言うまでもないが。

 靴ひもを結んで俺はドアを開ける。
「行ってきます」
 すると返事をするようにホームズが吠えた。
 その頭を撫でてやると、俺は家を出た。



 集合時間より早くついてみれば。
 武蔵森の連中は更に先についていた。
「ひさしぶり」
 渋沢にそう挨拶をされ、俺も挨拶を返した。そして
「元気ー?水野」
 と自身はすごぶる元気が良いとしか思われない声で藤代に声を掛けられた。
「おかげサマで」
 俺がそう苦笑しながら返せば、渋沢も笑っていた。

 と唐突に携帯の着信音。
 ふと見れば渋沢が携帯を握っていた。
 珍しい図だなとそのまま、見ていれば
「三上が、事故!?笠井、本当なんだな」
 渋沢がそう言っているのが聞こえた。らしくなく、動揺した声。

 …事故? 

 ガンガンガンと頭を打つような衝撃を受ける。

「水野!?」
 後ろで藤代の声。
 気が付いたら俺は走り出してた。
「水野!」
 渋沢の声もした。

 だが、すぐに藤代は追いついてきた。そして強く腕を掴まれた。
「離せよ、俺、アイツに…」 
 俺はそう言って抗う。
「遠征、放る気?」
 藤代はいつになく真面目な口調でそう言った。だが、俺はそれどころじゃなくなっていた。
「そんなもの…」
 と言って腕を振り払い、また走り出そうとしたその時。
「水野!」
 追いついていた渋沢が俺の前に立ちふさがる。
 パンと頬が鳴った。
「…スマン」
 渋沢は自分でもその行為に驚いたようで、でも表情を直すと
「でも、君が今いったところで状況は変わらない」
 そう俺を諭すように言った。
「君は三上からその場所を託されてるんだろ?それをまっとうしなくてどうする」
 そんな渋沢の言葉はその通りで。
 俺は…。
「戻ろう、水野」
 藤代がポンと俺の肩に手を置いて言う。
「ああ…」
 俺はそう返事をして、藤代と共に歩き出した。



 ・・・・・

 気が付いたらベッドの上にいた。
 見慣れぬ天井は白くて、ここが病院だとすぐにわかった。
 
 ふと見れば付けっぱなしになったテレビがフィールドを映していた。
 ローカル局の番組だとはやや荒い画面でわかった。
 そして俺はテレビに釘付けになる。
 それは、東京選抜の遠征の様子で。フィールドの上にいるのは見たことある顔ばかり。
 そして――。

「…水野」
 背番号10を纏ったその姿は鮮やかで。実況もしきりに誉めている。
 …やっぱり、お前、俺の先を行くだけあるな。
 俺はそう心から思った。

 水野の放ったパスがきわどいところで藤代に渡る…シュート。ゴールネットが揺れた。
 歓声が沸き上がる。

 とドアがノックされる音に俺は振り向いた。
「…気が付かれました?」
 その声は聞き慣れたもので。 
「笠井」
 そこに立っていたのは笠井だった。
「遠征、頑張ってるみたいですね」
 笠井はベッドの横に来ると少しだけ微笑んでそう言った。だがその表情を曇らせるとこう言った。
「…俺の所為でこんなことになって」
 が、俺は
「ストップ」
とそれを遮った。そして明るく笑ってみせると
「元は俺自身の所為だ。お前の所為じゃねぇから気にするな」
 そう言う。
「すみません」
 笠井はそう言う。
「…俺こそ、ゴメンな笠井。んで、ありがとう」
 俺は心からそう言った。

「じゃあ、看護婦さん呼んできますね」
 そう言って笠井は出ていった。ナースコールもあるのに押さなかったのは彼なりの配慮だろう。
 俺は再びテレビを見つめた。
   

 そのドアの向こうで笠井は思う。
 …自分は敵わない。
 画面上の水野を見つめていた三上その瞳が、もう自分には向けられないことに気が付いた。
 いや、わかっていた。
 ただ、気が付かないふりをしてきただけ。
 
「良いんだ、これで」
 言い聞かせるように言って一人笑う。
 …寂しさは否めないけど。
「俺も頑張らないとな」
 そう言うと笠井は歩き出した。



 ・・・・・

 遠征先の宿舎で、ぼんやりと窓の外を眺めていた。
 空はこんなに晴れているのに、俺はどうにも浮かない気分だった。

「水野」
 呼ばれて振り返った。そこには携帯を持った藤代――今回は同室だった。
「え?」
 どういうことか聞こうとするよりも早く、藤代がその携帯を俺の手に握らせると、部屋を出ていった。
「もしもし…」
 俺はそう電話口にでる。
「坊ちゃんは相変わらず元気なようで」
 聞こえてきたのは…あの声。
「三上?」
 確かめるまでもなかった。
「…生憎、生きてるよ。こんな怪我すぐに治してお前のその位置、脅かしてやんなきゃいけないしな」
 三上はそんなことを言う。だが俺は
「ああ」
としか答えられなかった。
「って、冗談だよ。テレビでみてたけど、さすがだな、おまえ」
 その言葉にも、俺はもう頷くことしかできなくて。
「ああ…」
 そんな俺の様子がわかったのか、三上は口調を改めて俺を呼んだ。 
「水野」
「何?」
 俺はそう訊く。
「心配してくれたんだな」
 そう言われて照れくさくなり
「…言ってろよ」
 思わずそう返してしまった。
「素直じゃない」
 そんな言葉にようやっと落ち着きを取り戻せて、俺は力を込めて
「アンタほどじゃない」
 そう言った。そして笑えば、電波の向こうでも笑い声がしていた。
「…水野」
 笑い止んで、次に聞こえた声はやや切なげで、
「何?」
 俺はもう一度聞く。
「会いたい」
 そう言われて俺は今度は素直に答えることにした。
「俺も」
 …言って、泣きたいような気持ちに襲われた。だがグッとこらえる。

「そっか。じゃ、帰ってくるの待ってるぜ。勿論、結果付きでな」
 明るい声でそう言われ
「ああ」
 俺はそう返事をする。
 そして、しばしの別れを告げた。



「良かったね」
 藤代に携帯を返せば、藤代はニッと笑ってそう言ってくれた。
「ああ。ありがと、藤代。本当に」
 俺は心から礼を言いたかった。もし藤代や渋沢があの時止めてくれなければ、こうはならなかっただろう。
 すると藤代は笑って
「良いよ、水野がシアワセなら俺もシアワセだし」
と言う。
「うん。だから、ありがとう」
 俺はもう一度言った。と、藤代は
「じゃあ、ニンジン喰って」
などと調子にのってそう言ってきた。
「……それは話が違う」
 俺はそう返す。
「えー?!」
 不満げな藤代に
「えー?じゃねぇよ」
 俺は笑ってそう言ってやった。
 

 …いつものようなやりとり。
 でも俺にはいつになく、楽しく感じられた。

 こんなのを幸せというのだろうか?
 多分、そうなんだろう。





 ――ようやっと、見つけた。


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