…傷つくことを恐れるばかりに傷つけてしまった

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第5話



 練習が終わって夕食を済ませ、就寝までの自由時間。
 俺は部屋で今日発売されたばかりのサッカー雑誌を読んでいた。
 横には笠井。渋沢は気を利かせたんだかなんだかで、部屋を出ている。

 なんでもない日常のはずだった。
 それでもどこか俺は上の空になっていたようで。
「聞いています、先輩」
 笠井に呼ばれてふと気が付く。
「あ、ああ…悪ィ」
 俺はそう言う。
 気まずい沈黙が流れた。
「…先輩、俺のこと見てないんじゃないですか?」
 ふと、笠井が言った。
「俺じゃなくて、何か別のもの、人に気を取られてますよ」
 そんな笠井の言葉に
「いつもの気紛れだ」
 俺はそう返した。

 だけど。
 …嘘だ、それは。
 何処かでもう気が付いている。

 不意に重ねられた唇。
 ――思い出してしまった、水野の唇。
 いつだったかよりもはっきりと、アイツの顔が浮かぶ。
「好きなんです、あなたが」
 笠井はそう言った。
 それはあまりにも真っ直ぐな言葉、視線。

 そう、こいつの腕は居心地が良い。
 だけど、アイツの手首は細くて。
 
 もう、元には戻れない、そう感じた。
 ならば踏み出すしかないのかもしれない。

「…スマン」
 掴まれた手を離して、部屋を出た。
 向かうのは、アイツのところだった。
 
 ・・・・・
 
 寮を抜け出し、消灯時間過ぎに帰ってきた俺を迎えたのは渋沢ではなく、藤代だった。
「どこ行ってたんスか?三上先輩」
 俺は答えず横を通り抜けようとする。すると、
「…竹巳が、探してました」
 藤代はそう言った。そしてこう続ける。
「このところ、先輩の様子どこかおかしいし、心配してたみたいッスよ」
 そこで俺はようやく振り返った。
「そうか。で?てめぇには関係ねぇだろ」
 俺はそう言う。藤代はそれに返してくる。
「あります。だって友達だし…それに」
 そこで言葉が切られた。
「…それに?」
 俺は眉を顰めながらも続きを促す。
「知ってるっスよ、俺。先輩がどこに行ってるか」
 藤代は真っ直ぐに俺を見てそう言ってきた。一瞬怯む。でもすぐに表情を立て直した。
「…だから?」
 挑むように言った。
 すると藤代は意外なことを言いだした。
「俺は水野のこと、好きだったんですよ」
 …それは強い瞳で。
「本当は水野のことどう思ってるんです?」
 藤代がそう訊いてくるのに、
「…さぁな。お前にいう必要はないだろ」
 俺はそう答えた。
「このままじゃ、竹巳が可哀想じゃないッスか。それに水野も」
 藤代はそう言ってきた。
「いい加減なつもりなんだったら、俺が奪います」
 挑むような目つき。
 普段は見ない、でも試合中ではよく見せるその表情。相手を怯ませるような。
「…勝手にしろ。そう簡単には奪わせてやらねぇよ」
 そう言うのが精一杯だった。

 ・・・・・

「日曜、先輩空いてますよね」
 部屋を訪れた笠井はそう言った。
「ああ、あれか」
 俺はそう答える。そう、少し前に一緒に買い物に行く約束をしていたのだ。
「10時で良いですか?」
 そう訊いてくるのに
「わかった」
 と俺は返した。
「じゃあ、それだけです」
 そう言うと笠井は部屋を出ていった。
 
「良いのか?」
 渋沢が机で何やら書きながら、訊いてきた。
「約束は約束」
 俺は言った。
「……そうか」
 渋沢はそうポツリと言っただけだった。
 …あとからすれば、やはり行かなければ良かったのかもしれない。
 でもそんなこと、その時の俺にわかるはずもなく。


 日曜の街は、やっぱり混んでいた。
「今日は随分と混んでますね」
 笠井が溜息混じりに言う。
「ああ」
 俺は生返事。
 そんな俺に気を使ってか、笠井は
「とりあえず、何か飲みます」
と言った。
「そうだな」
 俺はそう答え、2人近くのファーストフードに向かう。 

 とその時。視界に飛び込んだ色素の薄い髪。
 見つけてしまったのは水野…そして横にいたのは藤代。
 向こうも気が付いたようだった。それに気を取られ、思わず人にぶつかりそうになる。それを
「危ないですよ」
と腕を引いたのは笠井。 
 しかし、それは水野に見られたくないシーンだった。
 向こうに視線をやれば、
「行こう、藤代」
と水野はくるりと踵を返す。こちらの様子をうかがいながらも付いていく藤代。
「待てよ、水野!」
 思わず俺はそう叫んでいた。
「…俺より、アイツですか?」
 と、いつになく低い笠井の声。でも含まれているのは怒りではなく寂しさ。それにハッとする。そして笠井を見れば…歪んだ笑みを浮かべていた。そしてこう言われる。
「無駄ですよ、行ったって。藤代が水野離すわけないし、水野、三上さんのこと無視したじゃないですか」
 …言われてみればその通りで。
 だけど、…水野。

 俺、やっぱりお前が好きだ。
 この前は「多分」なんて言ったけど。
 どうしようもなく、好きなのかもしれない。
 でも、何か間違えたみたいだ。

 ――自分が傷つくことを恐れるばかりに傷つけてしまった。
 笠井も、水野も…。
 

 ・・・・・

 いつまで経っても繋がらない電話。10回目のベルを聞いて俺は受話器を置く。

 窓の外は雨。
 あの日も雨で、それで始まったんだったけ。  
 ――自業自得。
 とはいえ、自分を恨みたくもなる。
 そんなことを思う。


 雨はずっと降り続けている。
 いっそ、この思いもその雨に打たれて地へと還ってしまえば良いのに。
 …でも、もう戻れない。

to be continued...

(Up 2001.04.07)

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