…この暖かい腕に何の不満もないはずなのに

Not Found

第3話



 世界は一面の白で。他には何もなくて。
 …ああ、これは夢か、と俺は思う。

 夢を見ている時ってのは、「これは夢だ」とどこかで感じている。
 今、感じているのはまさにそれだった。

「三上」

 その白い世界で誰かが俺を読んでいるような気がして。
 俺は振り返るが、そこには誰も何も見つけられることが出来なくて。
「…誰だ?何処にいる?」
 俺はいつの間にかそう口に出していた。
 と、すっと視界を横切る、人影。
 茶色の髪がさらっと揺れているのだけが見えて…
 そして消えた。
 誰だか、良くは見えてないはずだ。だけど、あれは確か
「水野?」

 ――彼だったはずだ。


 ・・・・・

「三上先輩」
 そう呼ぶ声で起こされた。
「こんなところで、寝て。風邪引きますよ」
 笠井だった。
 どうやら俺は居眠りをしていたらしい。読みかけの本が膝の上に落ちて、閉じてしまっている。しおりを挟んでいて正解だったな、などと思ってみる。
 だが、夢の欠片はまだ、残っていて。
「…お前、今呼んでたか?」
 俺はそう訊いてみた。すると笠井は「は?」と言う顔をして
「いえ、一度だけですよ」
 そう答えた。
 …そうだ、それに笠井が俺を呼び捨てにすることはないだろう。呼び捨てにするのは同学年の連中か――アイツぐらい。
 まだどこかぼんやりとした頭で考える。
 そんな俺を見て、
「夢でも見てたんですか?」
と笠井はクスッと笑って言った。
「…みたいだな」
 俺はそう答える。

 …しかし、奇妙な夢。

「渋沢は?」
 ふと思って同室者の行方を訊いてみた。 
「監督と打ち合わせみたいですよ」
 そう笠井は答えた。 
「そっか、そりゃご苦労なこった」
 俺はそう言う。

 …で、浮かんできたアイツの顔。
 桜上水MF10番、で、桐原監督の息子。
 水野竜也。
 そして、あの日を思い出す。


 ・・・・・

 あの日、寮に帰った後。
「で?何があったんだ?」
 逃げるように部屋に戻ったものの、すぐに渋沢も戻ってきて、俺にそう訊いた。渋沢は部屋に入るなりクローゼットを開けてタオルを取り出し、手渡してくれた。
「悪ィ」
 俺はそう言って受け取る。
「お前のことだ、誰か知り合いにでも会って貸してしまったんだろ」
 渋沢は微笑みながらそんなことを言った。
 …やっぱりバレていた。まぁ、でも渋沢に隠し事なんてほとんど出来ないんだけど。
「んなの、俺のガラじゃねぇだろ」
 俺はあくまで強気に口の端を上げてそう言った。すると、渋沢は
「そうか?」
と不思議そうな顔をする。
「なんだよ」
 俺は渋沢を見た。渋沢は苦笑している。
「いや、結構面倒見が良い方だと俺は思うんだが」
 …渋沢に言われても。
「お前にゃ、負けるぜ」
 俺はニヤリと笑った。
 すると渋沢は
「それで?水野か風祭にでも会ったのか?」
と核心をついてきた。
「は?」
 これには驚く。…なんで、そんな予想が出来るんだ。そう訊けば。
「いや、外で会うような知り合いって上水くらいかなと思って」
 渋沢はそう返す。それになんだか悔しくなりながらも、俺は
「…GKの勘には負けるぜ。そうさ、水野に会ったさ」
 そう白状してやる。それを聞いて渋沢は
「意外だったな」
と言った。…傘を貸してやったことへの言葉だろう。
「いつもの気紛れさ」
 俺はそう言う。そしてニヤっと笑って「俺が気分屋なのは知ってるだろ?」そう言ってやった。
「そうかな」
 渋沢は笑って頷いた。それは、無邪気な笑みで。

 そして、それを見て俺はふと思ったのだ。
 ――水野も。
 そういう笑みを見せるのだろうかと、そんなことを。

 俺が今までに見たことのある表情といえば。
 …自信に満ちた不敵な笑みとか、ボールに向かう強い気迫のこもった顔。
 水野の真っ直ぐな瞳が眩しくて、嫌いで。だけど気になって。

 だから。
 あの後、傘を受け取ったときにキスをした。
 …多分、彼の新しい表情を見てみたくて。
 そして、見た彼の戸惑ったような、その顔は。酷く目が離せなくて。

 だけど。
 そう、にっこりと笑うとこなんか見たことない。

 …彼は、その綺麗な顔で。
 何時、
 誰に、
 どんな風に、
 微笑みを向けるのだろうか。

 何故だか、余計に。
 ――気になってる。


 ・・・・・

 なんて、回想に浸っていると。
「三上先輩?」
 笠井が不思議そうな顔で俺の表情を覗きこんできた。それで俺ははっとする。

 …そうなのだ。夢で見るべきなのは、コイツのはずなのに。
 何も言わずともわかってくれて、与えてくれる、彼。それに何不自由ないと言うのに。

 さっきまでの自分の気持ちを消そうと。俺は笠井の手をぐいっと引いて、キスをした。
 重なった唇。
 …それにさえ、何かを思いだしてしまいそうで。
 触れるだけで唇を離した。と、笠井は訊く。
「寝ぼけてます?」
 そんな笠井の声に、まともに答えられない。

 そう、俺は混乱していた。
 ――これ以上考えたくない。
 
「悪ィ、もう少し眠らせてくれ」
 そう言うなり、俺は笠井の膝に頭を置いて横になった。
「ちょっと、三上さん。渋沢先輩帰ってきたらどうすんですか?」
 そんな俺の様子に、珍しく慌てる笠井。
「ほっときゃいいさ」 
 俺はそう言って、手近にあった本を顔の上に被せる。
「あ、夕飯には起こせよ」
と付け加えて。
「…仕方ないですね」
 ふっと溜息まじりに、でも優しく笠井は言う。それを聞きながら俺はふたたび眠りにつく。
 …まるで逃げるように。


 だから。
「今度は俺の夢でも見てくれません?」
 そう呟く笠井の声は、俺には届いていなかった――。

to be continued...

(Up 2001.02.04)
  

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