…その意味に気が付くのは、随分後だった
第2話
玄関前で傘をたたみ、ドアを開けた。 「ただいま」 するとリビングから飛び出てきた母親。 「おかえり。雨降ってきちゃったけど、大丈夫だったの?」 そう言われた。 「それより、これ、頼まれたもの」 と言って、袋を手渡した。 「悪かったわね。ありがとう。…で、その傘は?」 そう訊かれ、ちょっと戸惑いながらも答えた。 「ああ、借りたんだ」 「親切な人がいるものね。じゃ、乾かして返さないと」 母親はそう言って、傘をもう一度広げ、玄関に置いた。 「でも濡れちゃったわよね。タオル持ってくるから待っていて」 そう言われ、俺はひとり玄関に立つ形になる。そして、広げられた傘を見つめた。 ――無印の黒い傘。 それは俺が普段使ってる青い傘より少し大きめに見えて、 浮かぶ三上のシルエット。 …あの様子だとずぶ濡れで帰ったはずだろう。 「はい、お待たせ」 タオルを渡された。 「着替えも出しておいたから」 「ああ、ありがとう母さん」 そう返事をして、自室へと向かった。 着替え終え、リビングに向かう。テレビではこの雨はもうすぐ止むが、明日もぐずついた天気だと言う。 そして、ふと気が付いた。 寮生活じゃ、予備の傘なんてないだろうってことに。 「…どうするつもりなんだ?」 そう呟いて、はっとする。 わりに周到な三上には似つかわしくない行動。自然と笑いが口許に浮かんでいた。 「らしくないな」 ――三上も、自分も。 今までの二人の関係とはあまりにも矛盾している。 時計を見れば、まだ時間はある。 「母さん、俺出かけてくる」 俺は立ち上がりそう言ってリビングを出る。 「何処に?」 それに答えるよりも早く、自分のブルーの傘をひっつかんで俺は飛び出していた。 …なんて出てきたものの。 いろいろと因縁のある武蔵森に、そう簡単に足が向くはずもなく。ゆっくりと、とりあえず歩いていく。 と、その時視界に飛び込んできたのは。 ダークグレイの傘。 電柱の下で、しゃがんで段ボールらしきものを覗き込んでいるそのシルエット。 雨音の中、耳をすませば、猫の鳴き声が聞こえてくる。 「…捨てられちまったのか?こんな雨の中」 どこか優しいその声に、聞き覚えがあって。でもそんな声は聞いたことがなくて。ぼんやりと俺は眺める。 と、その人物がこちらを向いた。 …三上だった。 「水野」 名を呼ばれた。そして言われる。 「何してんの?」 アンタこそ、と思ったけど言うのは止めた。 「傘…返しに」 おずおずという感じで、そう返す。 すると三上がニッと笑った。 「それはどうも。俺も取りに行くとこだったんだけど」 三上はそう言う。 「その傘は?」 俺は聞いてみた。 「ああ、渋沢の借りてきた」 …どこかの坊ちゃんと違って、俺にはそれしかないからな。なんて三上は言う。 でもそれが「皮肉」というより「からかい」に聞こえるのはどういうことだろう。 ――「それしかない」なんて言う傘を俺に貸してくれたりしたからか? その傘を手渡し、 「ありがとう」 俺はそう言った。 すると三上が驚いたような表情を見せた。 「なんだ、お前でもそんなこと言えるんだ」 そしてふっと笑って。 「…ドウイタシマシテ」 わざとらしい言い方。でもその表情がふと柔らかくて。 それに何かを感じて。 さっきから、俺、おかしい。 いや、 傘を借りたときから、俺は…。 「三上?」 気が付くと三上が俺の顔を覗き込んでいた。 「んな顔するなよ」 と言ったかと思うと、三上はずいっと顔を寄せてきて。 逃げる間もなく、唇を重ねられていた。 それが何のことだか一瞬わからなかった。 キスされた…。 誰が?誰に? 俺が、三上に。 「何を…」 唇を話されたところで俺は酷く動揺しながらも言う。 すると三上はいつもの笑みで、 「借り賃」 とだけ言った。 そしてくるりと背を見せる。 「三上!」 俺は呼んだ。 「じゃあな」 振り返らず片手をあげて去る三上。 その背中の向こうに。 虹がかかっている。 「何だって言うんだ…」 ――俺はただそれを眺めてる。 ・・・・・ 「で、どないするんや、その猫」 シゲはそう俺に訊いた。 何も思わずに、連れて帰ってしまった子猫。…あんな三上の様子をみて、そのまま放っておくわけにもいかず。だが、家にはホームズがいる。ちょっと、問題だった。それでシゲに相談したのだ。 「…どうしようか」 俺は半ばぼんやりとしたまま、そう言った。 「なんや、タツボンらしくないな」 シゲはそう言って笑う。 …確かに、らしくはない。でも、それ以上にらしくなかったのは三上。 俺は多分それに動揺した。 「ま、ネズミ取りぐらいにはなるやろし、和尚に交渉してみるわ」 と、シゲがそう言ってくれた。 それを訊いて俺はほっとした。まさか、また何処かに放るわけにもいかないし。 「ありがとう」 俺はそう言った。 「んじゃ、帰るわ」 「ああ、またな」 帰るシゲを見送った。シゲは一度振り返ると笑って去っていった。 それにさえ、三上を思いだして。 …どうかしてると、自分でも思う。 「ありゃ、恋患いってやつか?」 面白いわ、それ、などと呟きシゲは子猫を抱いて帰っていく。子猫はただ何も知らずにニャアと鳴いて、シゲを見上げる。 そう、気が付かないのは本人達ばかりだった。 to be continued... (Up 2001.01.22) |