…後から思えば、多分逃げたんだ。
第1話
久しぶりのオフだというのに、あいにくの空模様で。 どんよりと曇った空は俺を憂鬱にさせた。 「…かったりぃなぁ」 などと俺は呟く。 …ここは食堂。朝食の時間だ。 そして、俺と渋沢は笠井・藤代の2年生コンビと同じテーブルについていた。 「仕方ないですよ、こればっかりは」 向かいに座っている笠井が俺の呟きを聞いてそう言った。 すると藤代が笑って言う。 「こういうとき日頃の行いがものを言…痛っ」 …終いまでは言わせず、藤代の頭をぶん殴った。 「三上」 たしなめる声は渋沢。 「ったく、毎日やっていて厭きないんですかね」 笠井が溜息混じりに言うのを聞いて。 「だって、先輩が」 「だって、藤代が」 抗議する俺と藤代の声がハモって、渋沢と笠井がキョトンとした。そして次の瞬間、笑い出した。 「笑うな!」 また被ってしまう。 くくくっと、二人は必死に笑いをこらえようとしている。それに憮然として。 ひとしきり笑った後、笠井が言った。 「そういや、三上先輩。今日出かけるんですよね?」 「ああ」 俺は返事をする。すると言われた。 「なら、俺のCD取ってきてくれません、届いてるって連絡貰ったんで」 「良いぜ、俺も寄るところだったし」 笠井にだけわかるような微妙な笑い方をして返事をした。 「じゃ、お願いします」 笠井も笑い返しそう言った。 …二人だけに通じるその「微笑み」。 何一つ変わることのない、日常だった。 ・・・・・ 街に出てみれば、こんな天気だというのに人が溢れていて。 俺はウンザリしながらも歩いていく。 頼まれたCDを取りに行き店を出る頃、ちょうど雨は降り出した。 「持ってきておいて正解か」 俺は傘を開いた。そして色とりどりの傘の海に飛び込んでいく。 ――その時だ。 ちょうど、通りの向こうにある姿を見かけた。 人混みの中でもちょっと目を引くその姿。栗色の髪が揺れていている。そして近づいてくる。 「水野…」 知らずその名を呼んでいた。 それに気が付き、水野が顔を上げる。 「三上」 そう呼び返してきた。 …よく見てみれば、水野は雨に打たれたようでその服や髪が水を吸っている。勿論、傘は手にしていない。 「なにやってんだよ、お前。こんな雨の中」 思わずそう言っていた。 「…少しだけだったから、大丈夫だろうと思ったんだよ」 仏頂面でそう言い返す水野に、俺は傘を差しだしていた。 「え?」 酷く驚いた様子を見せる水野。 「試合あんのに、風邪引いたらどうすんだよ?」 そんな俺の言葉に水野はきょとんとした。 …俺だって内心驚いているが。 ――まったく、らしくない。 「だけど」 水野が戸惑った声をあげる。それに僅かな苛立ちを感じながら 「別にてめぇが心配なんじゃねぇから、安心しろよ」 などと、言う。 が、自分で言っておきながらどこか違和感。 …でも、それが何なのかよくわからない。 「三上…」 見れば、差し出した傘を取ろうかどうしようか迷って、水野の手は宙に浮いていた。 俺はそれをぐいと掴み、傘を握らせる。 「良いから」 半ば押しつけるようにして、俺はその場を去った。 …身を打つ雨は冷たいはずなのに。 何故か爽快感を感じ、俺はわけがわからずにいた。 ・・・・・ 「三上、どうしたんだ?」 ずぶ濡れになって寮に戻った俺を出迎えたのは渋沢だった。 訝しげな表情で渋沢が訊く。 「お前、傘持ってたんじゃないのか?」 俺は何でもないことのように答える。 「ああ、…忘れてきた」 すると。 「雨降ってるのに?」 そう訊かれてしまった。 「…」 俺は答えに窮し、なんとか誤魔化そうとして。 「水も滴るいい男だろ?」 そう言ってニヤっと笑った。すると、脇から別の声が上がる。 「勝手に言っていてくださいよ、三上先輩」 笠井だった。 「風邪引いたら困るのは周りなんですからね」 呆れ顔でそう続ける笠井。 そんな言葉でありながら、実は俺の心配をしているってわかっているが。 と、思い出す先ほどの水野とのやりとり。 自然と俺の手は止まる。 「…そう思ったからだよ」 水野が、風邪を引きでもしたら…。 俺は確かにそう思ったんだ。 勿論、ライバルとして、でもあるのかもしれない。 だが、…多分俺は… ――単にアイツが心配だった。 『は?』 渋沢と笠井の声が重なった。 「何でもない…」 言ってしまったと思う。 「これ、渡しとく」 と、笠井の手にCDを押しつけ、俺は慌てて二人から逃げるようにしてその場を去った。 …後から思えば。 多分、逃げた。 動きだした、自分の何かから。 そして、「今」を壊したくなくて…。 取り残された渋沢と笠井は、二人して首を傾げるしかなかった。 to be continued... (Up 2001.01.06) |