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何も言わずに、消えるつもりだったんだ

・・3・・


 無事にテストは終わり、練習は再開された。
 あの夏で先輩達は引退をし、今は俺達がチームの中心になっている。
 キャプテンは誠二。
 渋沢先輩とは別のタイプのキャプテンとして、皆を良くまとめてる。それに何と言ってもムードメーカーだ。

 でも、多少の寂しさは否めない。
 ……三上先輩がいないから。

 テスト前のあの夕方の図書館での先輩の言葉。

 なら、俺の世界を変えていくのは、三上先輩だ。


 笛が鳴り休憩時間になった。 
 俺はドリンクを片手に、ちょうど転がっていたボールを蹴った。放物線を描いた後ポンポンとボールは転がり、誰かの足元に届く。その人物が振り返った。そしてその後にはもう一人。
「渋沢先輩、三上先輩」
 俺はその人達の名を呼んだ。…久しぶりに会うような気がする。
「よぉ、笠井」
 と三上先輩が言い。
「元気か?」
 と渋沢先輩が訊いてきた。
「先輩達!」
 後ろから誠二が走ってきて、二人に飛びつく寸前で止まった。
 くすっと笑う先輩達。
「…どうだ?藤代。調子は?」
 渋沢先輩はそう誠二に訊いた。
 と、途端笑っていた誠二の顔が曇る。
「どうにも。先輩抜けてから、イマイチ守りに自信がないみたいなんですよね。その分、笠井なんか大変みたいで」
 そう言う誠二に対し、三上先輩はへっとふてくされたように
「俺んとこはイイのかよ」
と言う。すると誠二はにっこり笑って
「そりゃ、先輩ほど俺に合わせたボールくれる人もいないっスけどね〜」
と返す。それを聞いて笑いを浮かべる三上先輩。…可愛いものだ。横を見れば渋沢先輩も同じことを思ったらしく、顔が笑っている。
「そうかそうか、って何でお前ら笑うんだよ」
 三上先輩はそう叫ぶ。
 
「でもやっぱりチーム全体、変わってかなきゃいけないみたいっスね」
 誠二はそう言った。
「変革ね…」
 と、渋沢先輩のその呟きで、三上先輩が俺を見た。
 その表情に翳りが見える。
「三上先輩?」
 俺が呼ぶと、はっとし、すぐに表情を立て直した三上先輩。そして、俺から目をそらす。
 ――どうかしたのだろうか?
 そうは思ったのだが、聞けそうな雰囲気ではなかった。
「悪ぃ。先に行くぜ、渋沢」
 そういうと、先輩は去っていた。
「ああ…」
 渋沢先輩は頷いて、また藤代と話し出す。
 その横で、俺は行ってしまった三上先輩の背中を見つめた。

 その背中は、
 …もう小さい。


 ・・・・・


「言わなくて良かったのか?」
 渋沢はすぐに三上に追いつき、そう訊いた。
「ああ…言わねぇよ」
 三上は立ち止まり、そう言った。そしてこうも言う。
「あいつらさ、また1年立てば去年と同じになると思ってるんだ。そのために頑張ってる。だから、言わない方が良いんだ」
 その言い方はどこか悲愴で。
「だが、三上…」
 渋沢は言いかける。が、それを打ち消すように三上が言った。
「はっ、笑わせてくれるよな。…二度とサッカー出来なくなっちまったなんてな。…水野や郭にも借り返せてねぇし…これからだと思っていたのに」
 そう強い口調で言いながらも、どこか三上は苦しそうで。
「三上!」
 思わず渋沢は叫んでいた。
「…サッカーが出来なくなるってだけなら、まだしも――」
 と、そう言いかけた三上の身体がガクリと揺れ、倒れ込みそうになる。
 寸でのところで受け止めた、渋沢。
「おい?大丈夫か?」
 と訊きながらも、大丈夫でなさそうなのは三上の顔をみれば明白だった。
 だが三上は「良いんだ」と言う。
「ああ、ちょっと休めば…」
 そう言って、近くにあったベンチに座る。



「…俺、ここにもいられなくなっちまうんだな」
 ポツリと三上は言った。
「そんなことない。きっと良くなるさ」
 そんな渋沢の言葉に、三上は苦笑して「どうだか」と言う。

「誰にも言わず、消えるつもりだったんだ」
 やがて三上はそう言った。
「…笠井には言わないで良いのか?」
 渋沢は静かな声で三上に訊く。三上はゆっくりと顔を上げ、渋沢を見た。そして言う。
「知ってたのか」
 すると渋沢はくすりと笑って
「何年友人やってる」
と言った。それにつられるように三上も笑った。
「3年目だもんな…本当なら6年になったかもしれねぇのに」
 後半はどこか自嘲を帯びていて。
「三上…」
 渋沢はその名を呼ぶことしか出来なかった。

「お前を親友と見越して、頼みがある」
 三上はそう言った。
「笠井には言わないでくれ」
 強い口調。
「しかし…」
 渋沢は返事をするのに迷った。
「知ったらきっとアイツは、自分のこと放り出して俺を助けようとする。でもそれでアイツの人生まで奪いたくなんかねぇんだ」
 …お前も大差ねぇだろうけど、アイツはお前より不安定だからな。と三上は言う。
 確かに。
 そういうところでは、俺の方が諦めがいいかもしれない。
 …大人になるってのは、多分そう言うことだから。
 などと渋沢は考えた。
「良い夢を見た。…そういうことにしちまおうかと思う」
 三上は俯いてそう言った。その表情は渋沢からは見えない。
「馬鹿なこと言うな!死ぬと決まった訳じゃない!!」
 思わず強く出ていた。そして肩をきつく掴んでいた。
 そんな渋沢に三上は微かに笑って言った。
「…ありがとな、渋沢。でも、もう仕方ねぇんだ」
 たとえ、死ななかったとしても、もう道はわけられちまったんだ。
 …そう三上は言う。

「楽しかった」
 呟かれる言葉。

 …楽しかった、嬉しかった、時に悔しかった。

「…なぁ、俺…ひょっとして泣いてる?」
 頬を伝うものの冷たさに気が付いて、三上はそう言った。 
「良いんだ、三上」
 渋沢は出来るだけの優しい声でそう言った。 
「ごめん、渋沢。最後までお前には迷惑掛けるな」
 
 
「笠井…」
 ようやっと聞き取れる小さな声で三上はその名を呼んだ。

 やはり忘れられるはずがないのだ、と渋沢は思う。
 …何とかしてやりたい。


 どうすれば?
 …それだけを渋沢は考えていた。


 ・・・・・


 不意に呼ばれたような気がして、俺は振り返った。
 今日も練習は続く。
「竹巳?」
 気が付いた誠二が不思議そうに俺を見る。
「いや、なんでもない」
 俺は軽く首を振ると、そう答えた。そして再びボールを蹴る。

 遠くからは吹奏楽部の練習が聞こえてくる。
 ――パッヘルベルのカノン。

 …この曲にも日本語の歌詞が付けられてたんじゃなかったか?

 ボールを蹴りながら、そんなことを俺は考える。

 たしか「遠い日の歌」だったか…。


 あの日はまだ遠くないはず。
 では何故、こんなに彼が遠く感じられる?


「三上さん?」


 強い風が吹き、木々をざわめかせる。
 妙な胸騒ぎを感じたまま、練習をこなしていく。 


 ・・・・・


 俺は後から知らされた。
 あの日、先輩が学園を去ったことを。

 そして――。
 その真実は、もっと後に。

 to be continued...

2001.07.12 UP