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11月も終わりになり、そろそろ期末試験という時期。
その日の授業は終わり、俺は教室を出る。
…試験ということでしばらくは部活もなく、たまには図書館にでも行こうかと俺は思いついた。勉強は夜やったほうがはかどるタイプなので後回し。そういえば返しそびれていた本もあったのだ。
とりあえず、それを取りに行こうと寮へと俺は向かった。
「おかえり」
寮に帰れば、同室で親友の誠二が先に帰っていて俺を出迎えてくれた。彼はもう私服に着替えくつろいでいる。ベッドの上でサッカーダイジェストなどを広げ、それはのんびりしたものだ。
そんな様子はあまりにも彼らしくて。
「ただいま」
俺は笑いながらそう返す。そしてそのまま机の上に置いたままだった何冊かの本を手にし、部屋を出ようとする。
「竹巳、何処行くんだ?」
そう声を掛けられた。
「図書館」
俺は答える。
「そう」
俺の返事に誠二はふーんと頷くが、ふと思いだしたらしく、こんな事を言った。
「そういや、今日は三上先輩も行くって言ってたっけ」
三上先輩…。
その名に俺はどうしても反応してしまう。が、表情は冷静をつとめる。
「三上先輩が?」
その表情のままで俺はそう誠二に聞き返した。
「ああ、勉強しに行ったんじゃない?あの人、ああ見えて勤勉だもんな」
そんな風に誠二は言う。
それは俺もよく知っている。
あの夏の大会。選抜から落ちたあの後、彼がどれだけ努力してきたか、それは皆知っている。
いや、あの人は見えないところでも更に努力していた。…決してそれを見せつけようとはしないけど。
それに、あの人は俺の――。
…そんなことを心の中だけで言いながら俺は、ふとくつろいでいる誠二とを見比べ言う。
「…誠二とは正反対だよね」
すると誠二は唇をとがらせ抗議する。
「あのさ、竹巳。それ失礼」
そのむくれ方が妙にかわいくて俺は苦笑した。
「ごめん。…ただ、そう見えるってだけ。誠二も誠二なりの努力はしてるのは知ってるよ」
俺はそう片目を瞑って言った。
…そりゃそうだ。天才だって努力しなけりゃ、その才能を生かしきることはできないだろう。
そんな俺に、誠二はふっと溜息をつき苦笑しながら言った。
「そう言ってくれるのは竹巳と、渋沢キャプテンぐらいだよ」
その誠二の言葉に俺はふと思う。
たしかに。同じ天才タイプの渋沢キャプテンなら、誠二の気苦労はわかるだろう。
…では、俺はと言うと。
――俺はただ、人の気持ちをくみ取るのが得意なだけだ。その才能がDFとしての俺の役にも立っているけど。
「…人って一体何を見てるんだろうな」
呟きが思わずこぼれてしまう。
それは自問。
…そんな風に深く考え込んでしまう自分は、時々嫌になる。
だが、誠二もやはり思うところがあったらしく、横で頷いている。
「まぁ、良いけどね。どう見られようと、俺は俺だし」
…そう言い切ってしまえる誠二は少し羨ましい。
俺は。
多分、他人を気にしてる。
だから、…彼とのことは誠二にも言っていない。
と、俺はそこまで考えていた思考をストップさせ、改めて時計を見る。
…図書館閉館の5時はもう迫っている。
「あ、っともう時間ないから行って来るよ」
俺はそう言い、慌てて部屋を出る。
「ん、じゃね」
誠二が送り出す声を背中に聞く。
閉館の音楽がかかった図書館に人気は少ない。
かかっている曲は――ドヴォルザーク、交響曲第9番ホ短調作品95「新世界より」の第2楽章。
…たしか日本語の歌詞を付けられた曲があるはずだ。ひょっとしたら正式な曲名より、そのほうが有名なのかもしれない。
閉館の曲としてはベタなそれを聞きながらそんなことを思う。
まずはカウンターに行き、返すべき本を返して後は彼の姿を探す。
靴音をあまり響かせないようにして、書籍の海の底を歩く。そして奥の特別閲覧室…つまり学習室へ入った。
と、彼はその閲覧室の窓際の席にいた。他には誰もいなかった。それはそのはずで。閉館の時間まではもうあと少ししかない。
そんな中。彼は夕陽が差し込むその部屋で何やらテキストを開いているものの、頬杖なんてついて窓の外を眺めている。空いている片手ではシャーペンを意味もなく玩んでいた。
彼の眼鏡はそんな、紅く染まっている外の風景を映している。そして、その耳にはイヤホン、そのコードはテキスト脇のMDに繋がっている。
…それは何か世界を隔絶しているようで。
――そのレンズ越しに、彼は一体、この世界の何を見ているのだろう?
俺はさっきの誠二との会話を思い出しながら、ただ彼を見つめる。
多分、それは彼にしかわからないのだ。…一番彼に近い俺にもわからない、彼だけの世界。
…そう思うと、急に彼を遠く感じ、妙な不安にかられた。俺は見つめるのを止め、彼の名を呼ぼうとして気が付く。
図書館らしく小声で彼の名前を呼んだところで、MDをかけたままでは気が付かれない可能性は高い。ここは奇襲をかけてみることにする。ちょっとした悪戯を思いついたのだ。
俺は彼の目の前に立った。すると彼は気が付いてふと顔を上げる。
「かさ…」
と俺の名を呼びかけてくるより早く、ネクタイを掴んでそのままキスをする。
カタン、と彼が玩んでいたシャーペンは音を立てて落ちた。物理法則に従って、摩擦係数の少ないその机の上をころころと滑っていく。
もっとも、俺はすぐに唇を離したが。
「…なにやってんだよ、笠井」
唇が離れるなり彼はイヤホンを外し、呆れたように言った。
「だって、そんなだし、呼んでも気が付かないかと思ったんですよ、三上さん」
俺はそうイヤホンを指差し、言い訳をする。
「まぁな」
先輩はそう苦笑した。
「これ、俺のですね」
そう、脇に置かれているMDケースに見覚えがあった。それは俺が贈ったもの。
収録されているのは…マーラー。
なんとなく、広げられているテキストの数学に似合っているような気がした。いや、多分、今俺達の後ろでかかっている「新世界より」よりは似合っている。
そして、彼にも――。
「ああ。結構良いな、クラッシックも」
…そんな先輩の言葉はなんだかくすぐったかった。
俺の影響から先輩の世界が広がっていくようで。
すると、そんな俺の思惑を見透かしたのか、先輩はそんな風に言った。
「お前の影響受けて、俺も変わってく…そう思ったか?」
ふっという、呆れたような、でもとても穏やかな笑みで。
「あ、ええ、いや…」
俺はその笑みに戸惑って、返答に迷う。そんな俺に先輩は今度はクスッと笑った。
「…ったく。しょうがないヤツ」
というと先輩は眼鏡を外した。そして
「笠井」
と呼ぶなり、俺の腕を引っ張り唇を重ねる。
――先ほどより長く続くキス。
唇が離れ、俺は言った。
「誰かに見つかったらどうするんですか?」
俺はそう抗議する。
「お前だって、やっただろうが?」
先輩はそんな風に悪戯っぽく言ってニヤっと笑う。
「…見つかりゃしねぇよ」
「ええ」
俺も微笑んだ。
それはどこか共犯者じみていて。
俺達は日常とか常識とか、そういうものを捨てる。
そんな二人の世界。
…それは永遠にも似て。
――ずっとこんな日が続けば良いと、俺は思っていた。
to be continued...
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