手に入れた群青のユニフォーム。
引き替えに失ったのはもう一つの祖国。
…それは背徳。
でも、きっと大丈夫。
――俺はやっていける。
ひとりじゃ、ないから…。
・・・BLUE IN GREEN・・・
思い出すのは数年前の夏。
ユースの練習、その休憩時間の会話だったと思う。
3人でふと空を眺めたときのことだ。
その空に皆で誓った。
「俺ら三人、絶対に一緒にプロになろうな」
そう言ったのが一馬。
「どうせなら三人で代表目指そうぜ」
それは結人。
…あの時、俺は曖昧に笑って誤魔化したと思う。
――でも、今は違う。
「一緒に代表で世界を目指そう」
そう、言い切れる。
・・・・・
「韓国と…」
都選抜の女監督告げた予定は、俺にあることを思い出させた。
後ろで結人が俺を見ているだろうことは、容易に予想できた。
でも俺は何も言わない。
結人も何も言ってはこなかった。
あれからもう1年以上経つ。
俺も吹っ切れた、はずだ。
――確かに。
「本当に?」
と訊かれればそれは嘘になるかもしれない。
自らに流れる血の半分を否定できるほど、俺は冷たい人間ではないはずだ。
たとえ、家族と訣別していても、だ。
結局俺だけ行かなかったソウル。
あちらでももう秋を迎えているのだろう。
…たまにはこちらから電話してみようか。
素直にそう思う。
「英士、途中まで一緒に帰ろうぜ」
一馬に呼ばれた。横には勿論結人。
俺はそちらに向かおうとして、ふと立ち止まって振り返った。
――グラウンドの向こうには羊雲の広がる、秋空。
その空はつながっている。
…俺のもう一つの祖国へと。
・・・・・
前々から、ことあるごとに言われていたことだったが。
それを告げられたときには随分唐突だったように思えた。
その夜、珍しく帰宅した父親が俺の部屋をノックした。
「大事な話があるんだ」
そう呼ばれ行った居間。
母親もそこにいた。
父親はソファーに座るとこう切り出した。
「…そろそろ向こうに戻ろうかと思う」
静かに、でもはっきりとそう言われた。
父親のその言葉に俺は、おもわず父の顔を見つめた。そして
「それ、本当の話?」
そう訊いた。
「ああ。日本での事業も軌道に乗った。あとは向こうの本社でやるべきだからな早ければ、2月には戻る」
「2月?」
俺は訊き返した。頷く父親。
「ただ、母さんは仕事があるから、3月一杯まで日本にいることになるがな…やはりそれ位になるか?」
前半は俺に、後半は母に訊くように父は言った。
「ええ、ちゃんと引継しなければいけませんし。それくらいには行けると思うわ」
母は父の言葉にそう答えた。
「そういうことだが」
そこで父親は言葉を切ると、まっすぐに俺を見据えてきた。
「…お前はどうする?英士」
…俺は答えなかった。否、すぐには答えられなかった。
「ちょっと考えさせて欲しい」
そんなことを言って居間を出た。そして自室に戻る。
パタンとドアを閉める。
そして、一人呟く。
「向こうに戻るって?」
父親の言葉を反芻した。
…『戻る』?
あるのは違和感。
やはり父親にとっては向こうが帰るべき場所なんだろうか。
そう思う。
では、俺は?
二つの国の間に生まれた俺は、どちらを取るべきなんだ?
…ずっと秘めてきて忘れていた振りをしてきたその問い。
そろそろ答えを出さなければいけないのかもしれない。
いや、明確な答えでなくても、俺がどうしていきたいのかははっきりさせなければいけない。
…俺自身で。
父親が「どうする?」と俺の意志を訊いてきたのはそういうことだろう。
俺はそう思った。
「俺はどうしたい?」
窓に映る自分に問う。
――答えはまだ持っていなかった。
・・・・・
いつも通りの電車でユースの練習場へ向かった。
「英士!」
聞き慣れた結人の声。
後ろから駆けてきた彼は、ポンと俺の肩に手を置いた。
「おはよう、結人。…一馬は?」
そう訊く。
「まだじゃねぇ?アイツ、ギリギリまでこないじゃん」
ま、遠いから仕方ねぇけどさ。
そんな結人の言葉。
何も変わらない、いつもの日曜日。天気は晴れ。
…眩しいぐらいの日差しが俺達の上に注いでいた。
…だが、俺の気持ちは晴れなかった。
『向こうへ戻る』
その父親の言葉の所為で。
開始5分前に一馬が来て、いつも通りに始まる練習。
その練習の中で、俺はぼんやりと思った。
「韓国に行ってしまえば…もうここで練習することはないのだ」と。
そして休憩中、何やら話し込んでいる友人二人を見つめた。
…結人と一馬。
ずっと一緒にプロを目指していこう。そう誓ったはずなのだ。
だが、向こうに行ってしまえば…。
「英士?」
ふと気が付けば一馬が俺の顔を覗き込んでいる。
「なんでもないよ」
俺は笑って誤魔化す。
…全然、何でもなくない。
それでもボールはイメージ通りに飛び、ほとんどミスすることもなく。
ほっとすると同時に、あまり動揺していない自分に驚く。
プロ精神に似たものがある、そう思えばいいのかも知れないけど。
多分それよりも、何処かでこうなることを予想していたからかもしれない。まさか、こんなに早く決断を迫られるとは思ってはいなかったけど。
それでも一度だけ外したシュート。
ボールはゴールバーを越えて…。
遥か向こうに飛んでいってしまった――。
・・・・・
「…二十歳になったら、どちらの国籍を取るか決めろ」
そう言われて育ってきた。
父親は韓国人、母親は日本人という家庭に生まれて。
韓国と日本。
2002年W杯を一緒に開催する国同士とはいえ、その間にある溝はあまりにも深いと思う。
国交はあるとはいえ、あまりわかり合えていない国。
社会の時間や、テレビニュースではそんな印象を受ける。
…少し複雑な気持ちだった。
父親と母親の仲は良く、どちらも尊敬しあえているようだったから。
だから簡単にどちらの国が良いとは思えなかったのだ。
思い出すのは何年も前に行ったソウル。
初めて会った祖父母の顔。
温かく出迎えてくれた。
聞けば祖父は韓国のサッカー界ではそれなりに知れた人らしい。
ポジションはMF、10番だったと聞く。
…俺はこの人の血を受け継いだのか、と強く思ったものだった。
もし日本国籍を選んだら。
祖父母、そして父親はどんな顔をするのだろうか?
かといって、韓国籍を選んだのなら。
母親や母方の祖父母はどうだろう?
――俺は二つの祖国の間で揺れている。
目の前の壁に貼られているW杯のポスター。ただしフランス開催のものだ。
…今はまだ迷っても良い。
どちらでもあるのだ。
KOREA JAPANと文字が並ぶであろう2002年W杯ポスターのように。
だが、いずれは決めなければいけないはずなのだ。
開催名でどちらが先に来るか、揉めて、それでもちゃんと決まったように…。
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