Yellow Card





 横浜駅JR改札口の前。
 俺はさっきからずっと同じとこに立っている。
 横浜名物シウマイの崎陽軒の売店の横。
 肩に掛けてきてたそれなりの重さがあった荷物はとっくに足下だ。
 …つまり、そんな経過時間。

 ポケットから携帯を出して時計をチェックする。時刻は午後9時。
 約束の時間はとうに過ぎて…というより、もう1時間以上は経っている。
 確かに「ごめんなさい、かなり遅くなります」というメールは貰っていたけれど。
 …かなりって、本当にかなりじゃねぇか、須釜サンよ。
 と、心の中で罵倒してみる。
 そう、俺は待ちぼうけを喰らっているのだった。

 横浜駅改札前の電波状況はかなり悪い。
 最初は改札の向かいにあるコーヒーショップで待とうかとも思ったのだが、アンテナが1本立ったり消えたりするのを見て、一杯飲んだだけで、すぐに出ることにする。
 で、コンコースの柱にもたれて待ってみるのだが、そことて安定しない電波状況に変わりなく、仕方なく俺は地下街へと繋がる駅の出口まで歩いてみる。そこでようやく立つ3本のアンテナ。
 でも、センターに問い合わせてみたところでメールは来ていない。
「…なーにやってんだか」
 仕方なく元いた改札前に戻って、することもなく俺はボケッと道行く人々を眺めている。見れば似たような人はいて。でも、電車が到着してしばらく人が溢れたその後には、少しづつ減っていて。
 そんな中でカップルらしき男女の
「ごめーん、遅くなってー」
「良いよ、気にするなって」
 なんてやりとりなんか聞こえてきちゃって。
 羨ましさからか俺は段々腹が立ってくる。
 …けど、どうしようもないとも判っていて、俺はただ溜息を吐くしかない。
 そう、本当は腹立たしさよりも心細さ。
「…遅ぇよ」
 呟いた声が弱々しく聞こえた。



 それからどれくらい立ったのだろう。
「ねぇ君、さっきからずっとそこに居ない?」
 ふと、眼鏡をかけた女が声をかけてきた。若くはない。少々不躾な視線。
 俺が答えようかと迷っているうちに
「誰か待ってるの?それとも…」
 俺とその足下にあるスポーツバッグを見比べながら彼女は言った。
「家出?」
 …って、もしかしなくてもヤバイ展開って感じデスカ?
 俺は内心焦りながらも答える。
「ち、違いますよ。人待っていて」
「そう?でもねぇ。貴方中学生か高校生でしょ?こんな時間だし、その荷物…」
 …これはピンチ。
 補導や交番に連れて行かれでもされたらどうしようかと、何とかこの状況を打開する方法はないものかと…うん、そんな言い方は試合の時みたいだな、なんて多少混乱しながら考えていた、その時。
「ケースケ君!待たせてごめんなさい!!」
 聞き慣れた声に振り向いた。それは待ちわびた声。
 スガは電車を走り降りてきたのか息を切らせて駆け寄ってくる。
「スガ…」
 スガは俺の状況にすぐに気が付いて、一度俺ににこりと微笑むと、すぐに彼女の方に向き直った。
「彼に何かご用でしょうか?」
 …口調は丁寧ですけど実に剣呑な目つきですよ、須釜サン。
 ほっと胸をなで下ろすと同時に少しばかり彼女に同情しそうになってしまう。
「いえ、余計な心配をしてしまったみたいです。…ごめんなさいね」
 彼女は申し訳なさそうに前半はスガに、後半は俺に向かって言って去っていた。
 その微妙な口調の違い。というよりスガを中学生だとは思ってなかっただろう。

 …てことは何?俺はスガの被保護者デスカ?
 家出の疑いが晴れたのは良いんだけどサ。

「行きましょうか」
 そう言うとスガは片手で俺の荷物と、もう片方は俺の手を取って私鉄の方の改札へと歩き出す。そして詫びてきた。
「本当にごめんなさい、遅くなって。ちょっと色々とトラブルがあって」

 …実を言うと遅刻は今回で2度目だ。
 そ、イエローカードなら2枚目。
 ついでにさっきの態度で3枚目。
 Jなら出場停止に出来るのに。

 …なんて、怒りが意味不明な方向に行ってしまいそうだ。
 だから何も言わずにただついていった。

「…怒ってるんですか?」
 自動券売機を操作しながらスガが言った。
 俺は上擦ってしまいそうな声を抑えながら答えた。
「そりゃ!あんなに待たされた上に、保護者ぶられたんじゃなっ」
 スガがこの年で一人暮らしをしているとかの生活環境上でしっかりしていることや、中学生離れした身長のおかげで、物凄く上に見られることは知ってるけれど。
 あの態度は堂々と落ち着き過ぎていて、ちょっと癪に障る。
「さっきのあれなら、僕も微妙に傷ついたんですけどねー」
 スガはしみじみと言う。この際それは無視して
「それに連絡もないんだぜ?…それが今回は一番痛いっつーの」
と俺が言い返せば
「…出来なかったんですよー。それは完全に僕の不注意ですけど…」
と言い、スガがポケットから取り出して、ストラップを指に通してブラブラさせたのは電源の切れた携帯電話。見事なまでにご臨終。
 なんで、よりによって。あー、こりゃ本当についてねぇなぁ俺、とガックリと頭を落としたところの目の前に、何か差し出された。
「はい、これ。…とついでにこれも」
 渡されたのは一枚のカードと合鍵。電車が描かれたそのカードの端にパスネットと書かれている。
「それ、私鉄や地下鉄共通のプリペイドカードなんですよv」
 …だから、今度からはそれで僕の家で待っていて下さい。
 そう言われる、そして。
「あんなに長い時間待たせてごめんなさい」
 不意に真面目な口調。真摯な眼差し。
 それで簡単に許してしまいそうな自分と、照れている自分に気付いて。俺は何も言わず、更に何か言いたそうなスガから半ば逃げるようにして、受け取ったカードで改札を潜って階段を登ってホームに上がった。



 スガの家の最寄り駅は特急なら1駅で行ける。その特急はすぐに来た。とはいえ都心からの列車は帰宅するサラリーマンですし詰め状態。そんな中ではさすがにスガも話しかけては来なくて。
 10数分後、駅について、混雑する人の流れに乗って改札をくぐり抜け、ようやく一息ついたところで。
 そこで俺はようやく
「…夕飯上手いモノ食わせろよ」
 とだけ言った。
「ええ、それはモチロンv 美味しいお店でも良いですし、何なら僕の手料理をご馳走しますよvv」
 ようやっと口を利いた俺に安心したのか、スガの口調は明るい。
「スガの手料理かぁ」
 一度だけ口にしたことのあるそれはかなり美味で。てゆかそもそも、付き合っている人間に料理を作って貰うというシチュエーションはかなり素敵なワケで。
 …って、いかんいかん。あれだけ待たされたんだ。もう少し不機嫌な振りして、スガを振り回してやらなければ。
 そんな風に嬉しさを隠して
「あの時間に見合った美味さじゃなきゃ嫌だね」
と、俺はわざと眉間を作ってスガを睨んでみる。
 すると、スガは本当に珍しくしょんぼりとした顔を見せ、
「…ハイ。頑張らせていただきます」
と答えた。ほんの少しだけ良心が痛む。
「デザートは当然だよな」
 …なんて言ったところで。どのみちスガの料理を口にした瞬間、眉間の皺は消えちまうんだろうけどな。
それに
「それはもう、全てケースケ君の望むがままに」
とまで言われたら、もう許しても良い…ていうか、とっくに許しているんだけど。

 とはいえ、今日はこのままずっと不機嫌な振りをしていようか。
 君がご機嫌を取ってくれるから。
 明日行く予定の中華街で我儘言っても通してくれそうだから。
 たまには、ちょっとくらいイジワルしてみたいって気持ちもあるし。



 …だからさ。人通りの少ない坂道で。
「ケースケ君」
「何?」
 と振り返った俺を。
「本当に待たせてゴメンナサイ。…でも来てくれて、待っていてくれてありがとうございます」
 なんて切なげに言って抱きしめてくるのは。


 ――まったくもって反則。

(FIN)
2003.08.22 UP