同点で迎えた延長後半のロスタイム。その残されたわずかな時間の中で、俺たちはFKのチャンスを得た。ちらりと見た表示はおよそ4分。セットしたボールの位置はペナルティエリア手前、直接ゴールが狙える距離。
「水野」
呼ばれて俺は振り向いた。
「――任せる」
横に並んだ三上はこちらを見ないまま、俺にだけ聞こえるようにそう告げた。
「ああ」
俺も見ずに小さな声で答える。そして、再開を告げる笛と同時に、俺は右足を踏み出した。だがその瞬間、予想以上に強い風が吹いて。
――狙いすぎたか!
そう思った時にはゴールポストがガンッと大きな音を立てて、俺の蹴ったボールを撥ね返していた。
「水野!」
三上の呼ぶ声に俺は慌てて気持ちを立て直す。けれど、こぼれたボールを拾った相手はそのまま一気に攻撃へと転じ、こちらは防戦一方。ようやっと、ボールを奪えたかと思っても、ガチガチのディフェンスに俺たちは突破口を見出せず、試合はその繰り返しの膠着状態になる。残り時間をやけに長く感じた。
……このままPKになってしまうのだろうか。
走りながら軽く息が上がって、そんなことを考えてしまう。それは、敵味方同じだったのだろう。その結末はあまりにもあっけなかった。
ラストプレイになるだろうと思われた相手のCK。全ての選手が集まったゴール前で、クリアするつもりだったボールは、相手DFにぶつかった拍子に思わぬ方向にそれて、そのままゴールへと吸い込まれていった。そして、まもなく審判の長い笛が響き渡った。
呆然とするチームメイト。痛恨のミスは、本当に取り返しがつかず。先輩たちが天を仰いで悔し泣きするのを、俺は泣くことも出来ず、ただ見ていることしか出来ない。
「すみませんでした」
ロッカールームに引き上げるなり、俺はそう頭を下げた。先輩の誰もがお前のせいじゃないと、言ってくれたが俺は申し訳ない気持ちでいっぱいだった。だから、隣のロッカーに伸びてきた手に向かって思わず謝っていた。
「……ごめん」
すると、三上は俺を見て、
「謝るなっつってんだろ。お前のせいじゃないって言ってるじゃん」
と、ニッと微笑んで言った。けれど、そう言うその目が心なしか潤んでいるように見えて、無理に笑ってみせたのが痛いほど判るから、俺は居た堪れなくなって。
「でも、俺が……」
――セットプレイでのミス以上に、俺がFKを決めていたのなら。
そう言いかければ、三上は眉を顰めてみるみる不機嫌になって、俺の胸倉を掴まんばかりの勢いでこう言った。
「何様なんだよお前。全部テメェのせいなワケねぇだろっ」
そう言い捨ててロッカールームを先に出て行った三上。
その背中にかける言葉も判らずに、俺はただ拳を固く握り締めて、己の不甲斐なさを悔やむ。
1月の国立霞ヶ丘競技場。その帰り際、見上げた空からは雪が舞い始めていた。

凍てついた外の空気と同じようにピンと張り詰めた空気が包む、国立競技場のロッカールーム。
「緊張するねー」
と、まったく緊張してない声で言ったのは藤代だった。
「ったく、相変わらずマイペースなんだから。ねぇ、水野」
笠井に同意を求められ、俺はぎこちなく頷いた。
「あ、ああ……」
「何だ、緊張してるんだ、水野でも」
俺の様子に笠井が安心したように言って微笑んだ。
――この何とも言いようのない緊張感。
確かに、他の試合でも国立を使うことはある。プロチームなら頻繁だ。少しだけ触れたプロの世界。けれど目立った実績を残すことは出来ず1年の時の1年間だけで強化指定選手から外れた。
とはいえ、この真冬の国立はやはり何か違う雰囲気があると言っても過言ではないだろう。トーナメントの一発勝負。天皇杯とは同じだが、天皇杯も同じ冬の国立というのは何の因果だろう。
時間になり出たピッチは、あの日と同じ寒さだ。でも、これが俺の最後の選手権。同じ過ちは繰り返したくない。そう誓うように俺は唇を固く結んで、前を見据えた。
準決勝の相手は、優勝候補筆頭の名門校。もちろん、事前の対策は打ってるが、当然相手もこちらをかなり研究してきていて、そう簡単にはディフェンスを破らせてはくれない。
危ない場面も何度かあったが、笠井たちがなんとか踏ん張ってくれて助けられる。当然俺自身も守備へと回らなければいけない時間が増え、いよいよ試合は膠着状態へと陥っていく。
……いや、硬直したのは俺の心かもしれない。
嫌でも思い出す去年のあの日。悔し泣きする先輩達。振り返らない三上、その背中にかける言葉もない俺。繰り返したくない。チームメイトを失望させたくない。
その思いが俺のプレイを無難なもの――単なる安全策――へと追い込んでいると判っているのに、俺はずるずると下がってしまったり、もっと早くシュートを打てば良いのに持ちすぎてしまう。
ハーフタイムのミーティングの後、藤代が俺を呼んだ。
「水野、もっと上がってきてよ」
確かに、監督――親父――の指示は俺に攻撃的になることだったが、藤代が望むのはむしろ3トップに近い。
「ダメだ、リスクが大きすぎる」
そう俺は藤代の言葉に首を横に振った。すると、
「失敗したって良いじゃん」
と、藤代は笑顔であっけらかんと言い放った。
「え?」
俺は眉を顰めて聞き返す。それに藤代はふと真顔になってこう答えた。
「それで水野のせいになんかしないよ、俺たち。去年三上先輩が怒ったの、覚えてない?」
――忘れるはずがない。あれからまともに口もきくことなく、あの冬の終わりとともに卒業し大学へと進んでしまった三上。勿論会ってもいない。
何故、あの時あれほどまでに三上が怒ったのか俺は判らないままでいる。
なのに、あの日居なかった藤代が――藤代は2年続けて強化指定を受けていた――何を判っていると言うのだろう。
「どういうことだよ」
「だからさ、水野が自分のせいにするのって、結局俺たちを信用してないってことじゃん」
それは非難にも聞こえて、俺は言い返す。
「そんなことない」
「だったら、思いっきりやってよ。失敗したら俺たちがフォローするし、点だって取り返してみせる。それじゃなきゃ、俺たちだって思いっきりやる甲斐がないし、第一!俺が面白くない」
そうきっぱりと言う藤代は、笑顔で悪戯っぽくこう続けた。
「水野の悪い癖」
……まったくもってその通りだ。かつてシゲに厳しく指摘され、郭には怒鳴られた。あの時あれほど痛感したのに、いつの間にか忘れてかけていた。
そう思って俺は唇を噛み締める。だけど、そんな俺の肩に手を置いて言う、
「水野なら出来るって信じてるし、皆いるんだからさ」
その藤代の言葉と笑顔に俺は救われたような気持ちになる。俺たちのやりとりを皆聞いていたのだろう、静まり返ったロッカールームで、
「そうそう」
と、笠井がそう相槌を打った。それに同調するチームメイト。珍しく間宮まで渋い顔ながらも頷いていた。
「ありがとう」
俺は皆にそう言った。
……それはいつか、同じようにチームメイトに言った言葉。
俺は本当に恵まれていたんだと今更思う。けど、今ならまだ間に合う。この選手権で応えることが出来るのだから――。
パスを出すと見せかけて、そのままドリブルで持ち込む。一人かわしてまた一人抜いて、最後の一人にボールを奪われ倒される。だが、その心は悔しさはあれど妙に爽快感があった。
「ドンマイ!」
藤代が明るくそう声をかけてくるのに笑顔で答えた。
攻撃にばかり気をとられてはいけないのもよく判っている。相手が上がってくると読めば即座に守備へと回った。
勿論、身体はキツイ。だけど、心はいつになく楽だった。
いつだって俺は自分から余計なものを抱え込んでいたんだろう。
……こんなんじゃ、あいつらだって笑うよな。
懐かしい顔を思い描いて俺はまた駆け出し、ボールを蹴る。
相手のファールで試合が中断されて、給水にベンチ前に行けば眉間に皺を寄せた監督が俺に近づいてきた。
「水野。何故、あそこまで上がる」
「すみません」
俺は素直に謝り頭を下げた。怒られるのは当然と思っていたが、監督が次に口にした言葉は予想外のものだった。
「相手ボランチへの警戒は怠るな。……キツイだろうが」
その言葉に俺はハッと顔を上げた。そこには本当に久しぶりに見る父親の笑顔があった。
「お前達の試合だ。自分を信じれば良い。最後まで粘れ。良いな、竜也」
「――はい」
俺は返事をして、ボトルを飲み干すとピッチへと戻った。
試合はPK戦へともつれ込んだ。こちらは順調に決めて、GKもよく凌いでくれて、あと1人になった。俺が決めればその場で勝利が決まる。
「水野、気楽にね」
藤代がそう声をかけてくれた。
「大丈夫。皆いるだろ」
俺は笑顔で答え、ゴール前へと向かった。
ボールをセットしたところで不意にフラッシュバック。
『任せる』
あの日のあの声。振り返らないあの背中。
でも、今ならかける言葉を俺は持っている。
――決めなきゃいけない、じゃない。俺は決めたいんだ。
そう心に強く思ってボールをセットする。
蹴りだしたボールは思い浮かべた通りの弧を描いてゴールネットへと吸い込まれていった。同時に湧き上がる歓声。
チームメイトに揉みくちゃにされて、スタンドからは大きな武蔵森コールがされる。不意にそのスタンドに見覚えのあるコートが見えたような気がした。来ているのだろうか、大学選手権もあるのに。だけど、きっと見間違いじゃない。そんな気がしてならない。
試合後のミーティングが終わって、皆がワイワイ言いながら着替えるのを横目に慌てて俺は着替えた。
「水野?」
「悪い、先に出る」
笠井に呼び止められるのに叫ぶように答えて俺はロッカールームを後にし、走り出す。階段をかけあがって、スタジアムの外でその姿を捉えられた。
「――三上!……と、渋沢先輩」
振り向いた三上と渋沢は俺を見るなり「おめでとう」と笑顔で言った。渋沢は三上に
「俺は行ってるな、先輩きてるみたいだから」
と言って、それに返事をする三上。
「ああ」
「水野、決勝も頑張れよ。出来る限り来るから」
そう言われて俺は笑顔で返事をした。
「はい、ありがとうございます」
手を振って去っていく渋沢。後には俺と三上だけが残される。何から話そうかと俺が考えているうちに、先に三上が口を開いた。
「久しぶりだな。あれからもう1年も経っちまったか」
それを聞くなり俺は頭を下げた。
「悪い。俺、本当に何にも判ってなかった。今日の試合まで」
今まで三上がどんな気持ちだったのか、深くまでは考えてなかった。思えば俺に10番を奪われた形で、さんざん軽口や憎まれ口を叩かれたけど、それだって冗談のうちで、プレイでは常に俺を信頼してくれてたというのに。
「謝んな。そう言った筈だぜ、俺は」
そう言われて俺は顔を上げた。
「けど」
三上は目を細めて言う。
「俺はお前にもっと信頼して欲しかったし、信頼に足るチームメイトでありたかった。だからお前に腹が立ったし、自分にも腹が立った」
「……やっぱり、悪い。俺はそんなことも判らなかったんだ」
俺がそう悔やむように言うと、三上はニッと笑って返した。
「別に判ったんなら良いんじゃねぇの。これからだろ」
確かにその通りだ。これから、俺にはプロの世界が待っている。その前に大事なことが判って良かったんだ。至らなさを悔やむだけの独り善がりよりもそれは大事なことのように思える。そして、それに気づかせてくれたことが本当にありがたかった。
「ありがとう」
俺がそう言うと三上は照れくさそうに俺の頭に手を置いて、髪をクシャクシャにしながら言った。
「良い試合だったな。決勝、楽しみにしてるぜ」
「ああ」
俺は笑顔でそう答えた。それに笑い返す三上。
「じゃあな、また」
そう言うと三上は俺に背を向け、手を振って去っていく。
「三上」
と、俺はその背中を呼び止める。三上は振り返った。
「天皇杯で待ってるから」
俺の言葉に三上は目を見開いて、そして、ニッと笑った。
「気長に待ってくれ。それが無理でも、そのうちお前のいるところまでのし上ってやるからさ」
「ああ」
俺は返事をし、去っていく三上の背中をいつまでも見送った。
――そう。俺たちはまたここで会う。
この真冬の国立で。いつか、きっと。
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真冬の国立
2008/02/01 夕日屋
(Photo by SPACE)
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※強化指定の詳細と高校選手権と大学選手権の日程が被っていることをすっかり忘れていました。あくまでもフィクションということでお楽しみ頂ければ幸いです。
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