出し抜けるって思うと、
どうしようもなくワクワクする。

それだけのつもりだったんだけどね。

……それはそれで結構、手に入れてみたいかもしれない。





TRAFFIC






 午後の授業ほどかったるいものはない。
 6限の英語はサボろうと決め、俺は屋上を目指した。
 ……まったく、わかりきったことをやることほど退屈なものはないのだ。
「あれ?中西。どこに行くんだ?」
 途中、同室で隣のクラスの根岸が俺を見つけて声を掛けてきた。
「サボリ」
 と口パクで答えれば、根岸は苦笑して手を振ってきた。俺もそれに手を振って答える。

 一番奥の廊下を曲がって階段を上りきって。鉄製のドアの前に張ってあるロープをひょいと越える。
「立入禁止」という貼り紙は俺にとって何の意味も持たない。いや、むしろいいバリアになる。
 多分、誰も入ってこないだろうから。
 と、その誰もいないはずの屋上に、人の気配。
 ……先客か。
 俺はチッと舌打ちしながらも歩いていく。
 そしていつも昼寝をしている給水塔の前で、その先客の姿を確かめた。
「三上……?」
 其処に寝ていたのは、我らが司令塔サマで。
 たまに屋上で出くわすことは遭ったが。
「つーことは、根岸んとこ、数学か」
 俺は呟いた。
 そう、三上は数学の時間に現れることが多かった。理由は俺と同じ「わかりきったことは退屈」。
 そういうやりとりを以前したことがある。

 俺は寝ている三上を観察した。
 思えば寝顔を見るのは初めてだ。同じMFでありながら、遠征でも一緒の部屋になったことはないから。
 柔らかな春の日差しの中、三上のその綺麗な黒髪はサラサラと風に揺れていた。
 そして読みかけていたらしい文庫本が膝の上に落ちている。
 俺はそれを見ていて、思わずため息が零してしまった。
「ふーん」
 ……こうして寝ていりゃ、可愛いのに。
 そんなことを思ってしまう。
 起きていればその綺麗な顔に皮肉っぽい笑みを浮かべて、キツイ言葉ばかり発して。それは憎ったらしいものだが、でも、実はそれは強がりだと俺は気が付いている。
 本当に強い人間は強がったりしないから。
 ――多分、三上は脆い。
 けれどソレを決して見せようとはしないから。

「壊してみたいような」
 そんな乱暴な気持ちと。
「守ってやりたいような」
 そんな不可思議な気持ちに襲われる。
 ただ、どちらにも共通するのは、
 ――執着。
 それだけの価値がこの司令塔にはある、ような気がする。


 魔が差した。

 俺は眠っている三上のネクタイを引いてそっと口づけた。
 だが、それだけでは起きる気配はない。
 ちょっと調子に乗って口づけを深くしてみた。甘い三上の唇を味わう。
 と、さすがに息苦しくなったのか、三上は身じろぎをして、
「しぶ……」
と言ってはっと、気がついた。しかし、目の前にいたのが俺だった所為か、酷く驚いた顔を見せる三上。慌てて立ち上がり、ネクタイを締め直している。そんな三上に、
「悪いな、渋沢じゃなくて」
 俺はニヤリと笑ってそう言った。そして思う。

 ――渋沢、ね。
 つまり司令塔サマは守護神とそういう仲ってことか。
 まぁ、薄々気が付いてはいたんだけど。

「いつもこんなことしてるってワケ」
 俺はそう言った。
 すると三上は俯いて、しばらく黙っていたが。
「……言うなよ、絶対に」
 そう消え入るような声で言った。
 それを聞いて、俺はあることを思いついてしまった。そして、それを口にしてみる。
「取引なら考えるけど?」
 ニッと笑って。意識して意地悪な口調で言う。
「取引って……」
 そう言いかける三上の顔は酷く蒼白だ。
「口止め料くらいくれよ」
 そう言って、三上の腕を強く引いた。そして金網にその体を押しつけた。両の腕で三上を閉じこめる。
 ガシャンという音が酷く大きく響いた。
 強張る三上の体。その顔に見たこともないような酷くおびえた表情を浮かべていて。
「ん……」
 その唇を奪う。今度は最初からディープに。
 何度も口づけるうちに力が抜けてしまったのか、三上の身体はその場に崩れ落ちそうになっていた。
 それを支えながら、俺は内心で暗い欲望が渦巻くのを止められなかった。

 ……そう。
 もし、三上を手に入れられたのなら。
 俺はあの完璧すぎる同級生を越えられるのだろうか?
 
 そりゃ、渋沢のこと嫌いってわけじゃないけど。
 むしろそれなりに尊敬もしてるけど。
 出し抜ける、と思うと。

 ――どうしようもなくワクワクする。



 長い口づけを終えて。
 まだ何処かぼんやりとしている三上に
「行けば?」
 俺は微笑んでそう言ってやった。
 三上ははっとすると、必死で表情を立て直そうとしている。そして、俺を一睨みすると
「交換条件は呑んだんだから、絶対に言うなよ」
 そう低い声で言った。
 多分、他の人間が聞いたら、恐れをなしたかもしれない。 
 だけど俺にはその様子がなんだか可愛らしくて、クスクスと笑った。
 そしてそのままトドメを刺す。
「取引、なんだから契約の更新は必要だぜ」
 俺は三上にそう言ってやった。
 不意に吹いた強い風。
「……俺にどうしろと?」
 その風に攫われそうなほど弱々しい声で三上がそう訊いてきた。
「さあ?俺、気紛れだし」
 ……その時によるかな。ニッと笑ってそんなことを言う。
 ――本当のことだし。
 そんな俺の様子に三上は後ずさった。そして、くるりと背を向けると走っていってしまった。

 それを見送って。
 俺は口の端が歪むのが自分でわかった。
「覚悟しとけよ?」
 思わず出てしまったその言葉は、渋沢に対するモノか、それとも三上に対するモノか。


 俺すらもわからない――。

 (Fin)

2001.03.08UP