君がいた夏

…そして二人、またフィールドで会う日を待つ

 都大会決勝、試合開始のホイッスルが鳴る。
 俺はそれを観ていた。…観客席の端で。

 ――桜上水は3回戦で負け、武蔵森とのリターンマッチはならなかった。
 だから今日俺がこの会場に来る必要は特にはない。
 それでも俺は来てしまった。
 …たしかに俺達は2年中心のチームで、まだ来年がある。その参考にということはある。
 だけど、どこか違うと言う自分がいる。

 …一体、俺は何を見に来たんだっけ?
 俺はその答えを求めてフィールドを見つめた。

 明星ボールから試合は始まり、まずは守る武蔵森。
 黒と白のストライプのユニフォームの11人。春に当たった時と同じメンバー。
 渋沢、藤代、間宮の選抜メンバーに辰巳、中西、近藤、笠井、高田、大森、根岸。
 そして…10番。
「三上…」
 俺はその名を呟く。

 ――俺は多分、彼を見に来たのだ。


 ・・・・・

 渋沢がトーナメント表を確認してきて報告した結果は、例年通りで、予想通りではなかった。
「え?上水負けたんスか?」
 藤代がそう渋沢に訊いた。
「ああ、0−1で明星にな」
 まぁ、怪我人が2人もいてはな、と渋沢は言う。…確かに、3軍まであるようなうちとは事情が違うだろう。
「残念ですね、キャプテン」
 藤代は自身も残念そうに言った。
「そうだな、出来ればもう一度当たっておきたかったのに」
 それに対し、渋沢がそう言ったのに
「…俺もだ」
と、思わず出てしまった俺の言葉。
 言って「しまった」と思うが遅い。
 案の定、藤代はキョトンとしている。…確かに、どういう心境の変化だと言われかねない。
「三上先輩?」
 俺は言う。
「なんでもねぇよ」
 そして、そう言うと自分だけさっさと引き上げた。
 動揺を見られたくなかったのだ。

 …なんでもなくないけどな。
 一人になって俺はそんなことを思う。
 そして俺は呟いた。
「…なんで来ねぇんだよ、水野」
 渋沢じゃないが、俺ももう一度上水と当たってみたかった。
 いや、水野と当たってみたかった。それが本音。
 …でも、それはもうこの中学サッカーでは叶わない。
 そんなことを思って俺はふっと笑った。多少の寂しさはあるけれど。
 
 たとえ、水野がいようがいまいが、俺はただ全力で戦うだけだ。 
 俺は俺だけのサッカーをすれば良いんだから。

 ――だから、水野。

「…決勝、見に来いよ」
 翌日も快晴になることを暗示するような空に俺はそう呟いた。 


 ・・・・・

 観客席を見れば、小島をはじめ他の上水のメンバーもいた。皆、集まって試合を見つめている。
 だが、俺はそこには行かなかった。
 …ただ一人で、フィールドを見つめる。

 武蔵森は相変わらず強い。勿論、対する明星も強い。それは経験済みだ。だから、この試合が良い試合になるのはわかっていた。だが、考えているのと実際に見るのとは違う。
 俺は一人、驚く。   
「三上…アンタ…」
 思わずそんな呟きがこぼれていた。
 ――そう、そこには。いつもの余裕の表情を消して、ただ必死なアンタがいた。その気迫はきっとこのピッチにいる選手の誰にも負けちゃいない。
 そう、そこにはただ一人の戦う男がいた。
 ここからじゃしっかりとは見えないけど、その黒い瞳はきっと真っ直ぐで、ただ勝利だけを見つめてる。
 ちょうどDFがカットしたボールが何人かのパスを経て三上に渡った。
「三上!」
 三上の右足から繰り出されたパスが辰巳を経て藤代に渡り、ゴールへともつれ込む。

『ゴール!!』

 観客が沸く。その中で俺はただ、彼を見つめている。
 と、その時、不意に三上が観客席の方を向いた。
 そして、視線が合った。

「三上…」

 ただその名だけが呟かれる。


 前半残り数分のこと。

 
 ・・・・・

「水野」
 藤代のゴールが決まりメンバーが沸く中、俺はふと観客席を見た。求める人の名を呼びながら。
 そして。
 その視線のちょうど先に水野はいた。
 …我ながら大したもんだ。あんな大勢の観客の中でも俺はお前を見つけられちまったんだから。
 俺はただ水野をみつめる。
 水野も俺を見つめている。…そんな気がした。
「…どうしたんスか、三上先輩」
 メンバーにもみくちゃにされて戻ってきた藤代がそんな俺に声をかけてきた。
「いや、なんでも」
 俺は誤魔化す。すると、
「調子良さそうですね、先輩」
 藤代は笑いながらそう言った。
「…ったりまえだ。それよりどんどんパス出してっから、きっちり生かせよ」
 俺はそう言ってニヤっと笑った。
「ハイ!」
 藤代はそう返事をして走っていく。
 そんな様子を他のメンバーも見ていて、俺に笑いかけてきた。俺も笑い返す。
 そして、俺はちらりとまた観客席を見た。

 ――しっかり見てろよ水野、今の俺を。
 絶対にお前に並んでやるから。

 そして、いつか…いつか。
 …そんなことを思い、ぐっと拳を握りしめる。


 試合再開。


 ・・・・・

 試合は後半を迎えた。

 明星のFW鳴海と設楽はボールが回ってくるなり何度も武蔵森のゴールを狙う。
 が、そこは渋沢。
 簡単には入れさせない。笠井などDF陣あるいはボランチ間宮の活躍もある。
 だが、そうはいっても強豪同士の闘いだけあって、両者激しい攻防を繰り返す。
 やがて、明星も鳴海が得点する。
 勿論、武蔵森も負けてはいない。司令塔の三上を中心に激しく攻めていく。
 そして、後半残り数分のところで再び藤代のゴール。アシストは三上。

 沸く観客席は異様なほどの熱気に包まれている。 
 その中で俺は表向きは冷静に試合を見つめている。

「…これで勝てば全国へ行くんだよな」
 俺は確認するように呟いた。 

 …全国へ行って活躍すれば、また機会を掴むことができるだろう。

 俺はそう思う。

 ――だから三上、
 早く、俺のところに…。

 俺はただ見つめるしかない。


 ロスタイム突入。


 ・・・・・

 終了のホイッスルが鳴った。
 …それは武蔵森の勝利の合図。

「やりましたね、先輩!!」
 そう言って飛びついてきた藤代を避けてはたいた。
「何するんスか?!」
 藤代は頭を押さえながらそう抗議してきた。俺は言い返す。いや、嬉しいのは嬉しいんだが。
「暑苦しいだろうが!」
 俺は半ば照れ隠しでそう言った。いや、暑苦しいのも事実か。
 すると藤代は言い返してきた。
「竹巳は怒りませんでしたよ?!」
 ちょうどそこへ笠井がやってきた。他のメンバーも集まってくる。
「怒る前に押しつぶされたからだろ」
 その現場を俺は見ていた。俺はそう言って笠井を見る。
「…そのとおりです」
 しれっと言う笠井。
「竹巳、ひでぇ」
 藤代がそう言う。
 と、そんな藤代の頭にポンと手を置いて、渋沢が苦笑しながら言った。  
「…漫才は良いから、整列しろ。嬉しいのはわかるが」

 皆、キャプテンの指示に従う。
 ふと、渋沢が俺の横に並んで小声で言った。 
「見に来てくれてたみたいだな」
 …どうやらお見通しのようだ。
「ハン、何のことだか」
 俺はそう言って無駄な抵抗をする。すると、
「そうだな」
などと渋沢は一つ笑って、「キャプテーン」と呼ぶ藤代の元に駆けていった。

 俺は観客席を見た。
 観客は皆立ち上がって拍手をしていた。水野も拍手していた。
 その水野とふたたび目が合った。

 その唇は動いていた。

「・・・・・」

 「音」は届かなくとも、たしかに「声」は聞こえていた。 

 俺はその声に微笑んだ。

 
 ・・・・・

 試合終了のホイッスルと同時に。
 武蔵森の優勝が決まった。
 つまり全国行きの切符を手にしたということだ。

 …なぁ、三上。これでもう中学サッカーで戦うことはないのかもしれないけど。
 また、会えるよな、このフィールドで。

 俺はそれを信じたい。
 いや、信じている。

 立ち上がり拍手をし出す観客に混じって俺も立ち上がり、拍手をする。
 良い試合を見せてくれた両校に。
 そして、なにより。
 …三上に。 

 きっと負けず嫌いなアンタのことだから、すぐに俺のところにくるだろう。
 俺はその日をずっと待っている。
 勿論、簡単に追いつけるようになんかしてやらない。
 ずっと追わせてやるさ。

 だけど。
 だから。
 早く捕まえに来い。
 …待ってるから。
 ――アンタだけを、さ。

 
 見れば、三上がこちらを見ていた。
 俺は言う。

「・・・・・」
 
 風が音を攫っていく。でもきっと、この声は届いているはずだ。
 …三上には。


 ・・・・・

「解散」と言う桐原監督の声を聞くなり、俺は着替えもせずに飛び出していた。
 藤代だか笠井だか、誰かが俺を止めようとしたが、それにも構わず俺はユニフォームのまま駆けだしていた。
 観客席の方へ走る。
 そして、MIZUNOのジャージの後姿を確認した。
「水野!」
 その声に止まる背中。栗色でサラサラの髪が風に揺れて
「三上」
と振り返った、水野。
 風の音がやけに大きく聞こえた。 
 …何から切り出そうかと思っていたその時に、先に水野が口を開いた。
「…おめでと」
 水野はそう言うと微笑んだ。
「どうも」
 と俺は返す。
 言って違和感。俺は思わず吹き出した。
「…そんな言葉、らしくねぇな、俺達の間じゃ」
 そう言ってみる。すると 
「ああ」
と言って水野も苦笑していた。でもすぐに真顔になって。
「でも、言っておきたかった」
 水野はそんなことを言った。
「そりゃ、どうも」
 俺もそう言う。そして、続けて
「…アリガト」
なんて言ってみた。すると、やはり水野は苦笑して
「似合わねぇ」
と言う。
「悪かったな。…俺も言いたかったんだよ」
 そう俺も苦笑しながら言った。水野も笑っている。
 しばらくそのままで二人笑いあっていた。

「水野」
 俺がそう呼ぶと「何?」と水野は俺を見た。
「俺は、絶対にお前に並んでやるからな」
 …それは、お前の隣にいたいということ。
 ――伝わるだろうか?
 俺は半ば祈りながら言う。
 すると、水野は言った。
「…待ってる」
 ニコっと笑い、するりと手を伸ばしてきたかと思うと、唇を重ねられていた。そして、一瞬で離れた柔らかい水野のそれはこんな言葉を紡いだ。
「全国、頑張れよ。…俺、待ってるから」
 それだけ言うと水野は走り去っていく。
「…ああ」
 俺はその背中に答えた。


 …水野。
 待ってろよ。絶対に捕まえてやるから。
   
 俺はふっと口の端をあげて笑う。


 いつか…いつか、きっと。
 ――そう遠くない未来に。

 (Fin)

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