Pastoral
FIELD OF GREEN

…一面の緑に見た、いつかの風景


 誰もいないスタジアムは、ただフィールドの緑だけが鮮やかで。
 その緑に空の蒼が映えて。
 美しいコントラストは、いっそ、もの悲しささえ呼び起こしそうで。 

「思い出しません?渋沢さん」
 不意に後ろから声を掛けられた。もうずっと聞いていて慣れた声。
「藤代」
 俺はゆっくりと振り返り彼の名を呼んだ。
 藤代はスタンドの階段を下りて来て、俺の横に並んだ。
「綺麗ですよね」
 そう言う、藤代。
「ああ」
 俺は頷く。そして、内心で羨ましくも思う。
 ただ綺麗だと、言える藤代を。
「ほら、いつか見た緑一面の畑。何か、あれを思い出すんスよ」
 藤代はそう言った。
 俺もちょうどそれを思っていたところだった。
「日本じゃなかなか見られない風景だったな」
 そう言う。

 何年か前の海外遠征の時見た風景。
 自由時間ぎりぎりなのを承知で二人でちょっと遠出したあの日。街から少し離れれば、そこは田園地帯で。地平線まで広がったオリーブ畑に、吸い込まれそうなほど蒼い空、そしてそこに浮かぶ真っ白な雲だけがあって。
 …永遠とはこんなものだろうかとさえ思った。

「写真なんて撮らない方が良いって、言いましたよね先輩」
 いつの間にか、藤代の呼びかけは昔のものに変わっていた。
「そうだったか?」
 俺はそう言う。そこまでは覚えていない。
 だが、そうだとして、きっと今も俺はそう言うのだろう。
「あの頃はその意味がよくわかってなかったんスけど。今ならわかります」
 そこで言葉を切って、藤代は俺を見た。
「…心に焼き付けて置けば良いってね」
 やや気障にも取れるその言葉は、でも本心だ。
「そうだな」
 そう言い頷く。
「この風景もそうだと思うッスよ」
 藤代はそう言ってフィールドを指差し、にっこりと笑った。
 そんな藤代は。
 芝と空、そして雲のコントラストよりも眩しかった。
 ――いや、彼はずっと眩しい。
「…目が眩むようだ」
 いつの間にか、そう言葉にでていた。
「え?」
 藤代が振り返った。そして俺を見る。
「いや、お前はいつも眩しいなと思って」
 俺はそう言った。すると藤代は返す。
「そんなことないッスよ。俺からすれば、先輩だってずっとそうでした」
 …だから、貴方を追いかけてここまで来たんですよ?
 そんな風に言って藤代はまた笑う。
 やはりその笑みは暖かい陽のようで。

 ――思い出せば出逢ったのも、この眩しい緑と青の世界の中で。
 いつも一緒にいて。
 ずっと。
「勝利」という同じものを追いかけていた。

「俺、絶対に勝ちますからね。明日の試合」
 藤代はニッと笑ってそう言った。
 …そう、明日は初めて「敵」として戦うことになる。プロでは同じチームになることは出来なかったから。でも、それは寂しくもあり、楽しみでもある。
「それは、こちらもだ」
 俺もそう言って、微笑み返した。



 抜け出したあの日。
 のどかな田園地帯の畑の中、当然他には誰もいなくて。
 緑の海の中を二人歩いていた。
「ね、先輩」
 藤代が呼びかけてきたのに
「何だ?」
と答え、彼を見た。
「俺達、ずっと一緒ですよね」
 藤代はそう言う。そして続ける。
「たとえ敵チームに回ったって、絶対に一緒ですからね」
 強く言われ、そして笑いかけてくるのに俺も微笑み返し、
「ああ」
と頷いた。

 ――約束しよう、この空と緑のある限り。

 確か、俺はそう言った。
 そして、降ってきた藤代の唇。
 …思えばあの時から、俺達は「始まった」のだ。
 そんなこと思い出す。



「渋沢さん」
 呼ばれて見れば、藤代は出逢った頃より大きくなって俺と並んだ…いや抜いたのかもしれない。
 そして、違うチームのウィンドブレーカーを着て。
 でもその中身は変わっていなくて。

 降ってきた唇に目を閉じれば、鮮明に甦る過去。
 そして、空の蒼、芝の緑、陽よりも眩しい藤代の笑み。

 ――ずっと一緒だった。そして、これからも。
 たとえ、どんな場面を迎えようとも。
 きっと…。


 ・・・・・


「行きます」 
 スパイクのひもを結ぶと藤代は一人呟いた。そして、歩き出す。

 ピッチに入る両チーム。

 …ほら、あの人は待っている。 

 フィールドに風が吹く。 
 そして二人、新しい場面へと踏み出す。積み重ねてきたそれぞれの思いを抱いて――。

 

 試合開始のホイッスルが、雲一つない真っ青な空と緑の芝の間に鳴り響いた。

(Fin)

BGM:BEETHOVEN;Piano Sonata NO.15 in D major, op.28 "Pastoral"

20010102 UP