夜を越えて

それはまだ叶わない、二人の夢…

――その日の試合は散々な結果だった。

「お疲れさま」
 チームメイトと互いに挨拶を交わしながら、俺はロッカールームを後にした。
「お疲れ、水野」
 しばらく通路を行ったところで後ろから声を掛けられる。
「渋沢」
 俺は振り返って、その名を呼ぶ。まずは「お疲れ」と返してから。
「ああ」
 渋沢は頷く、が、その表情はやや固い。
「強かったな。俺も、痛いミスをしたよ」
 そう言う渋沢。
「まぁな。俺も全然敵わなかった」
 俺もそう返す。
 
 …そう、まったくの完敗だった。
 二人で、今後の課題を話しながら、通路を歩き通用口にたどり着く。

 と、道路の方まで行ったところで車のクラクションが鳴った。
 パワーウィンドから覗いた顔は…。 
「三上」
 渋沢がその名を呼んだ。
「よぉ、久しぶりだな。渋沢」
 そう言ってニッと笑いかける三上。
「ああ」
 と渋沢は苦笑いを浮かべながら答える。
「ま、とりあえずお疲れサン」
 そう言った三上。そこで、ようやっと俺を見た。そして渋沢に言う。
「ってことで、コイツ借りてくな。――乗れよ、水野」
 後半は俺に。
「ああ」
 と俺は返事をして、ドアに駆け寄る。
「…じゃ、また明日」
 俺は渋沢にそう言い、車に乗り込んだ。
 ドアが閉まるのを確認して三上は車を発進させる。

 …そう、三上は何かあるとこうやって来るのだ。
 俺が必要とするのを見越しているように。



 車は幹線道路を通り、海の方へと進む。
 途中、工事でもやっているのか、車の流れが止まった。
 その渋滞で止まったところで、三上が切り出してきた。
「…んで?どうだった?」
 ふっと、俺を見る。それは昔よく見せた嘲笑ではなく、穏やかな笑み。
 俺は素直に答えた。
「どうにも…参ったよ」
 そう言って溜息をつく。
「そっか」
 とだけ三上はそう言い、車をゆっくりと進めていく。前の車のテールランプを俺はただ見つめている。
「何処へ?」
 渋滞から抜けたところで俺は訊いた。すると、三上は言う。
「何処へでも。…希望は?ってそんな気分でもねぇだろうがな」
 そう言うとちらっと俺を見た。
 俺も苦笑して答える。
「まぁな」
 とだけ、三上は言った。

 夜の街を車は疾走していく。
 ふと、ポツリと三上が呟いた。
「…助けて、どうにかしてくれ」
「え?」
 俺は三上を見るが、三上はステアリングを握り前を向いたまま。
「そう思った。んで、思ってんだろ?」
 そう言い、ギアをチェンジさせる。
「……ああ」
 俺はちょっと迷いながらも、頷いた。
 そこでようやっと、三上は俺を見た。
「言えねぇもんな、お前は」
 ふっと笑う三上。それは何処か遠くを見ているような目。
「…若ぇ頃はいいんだけどな。突っ張ってんのも。…けど、そのうちそれじゃ辛くなる」
 自分のことを言っているみたいだが、それは俺にもその通りで。
 そんなことがこの頃多い。
「なんで、なんでもわかるんだ?」
 俺はそう訊いてみた。
 すると三上はこう答えた。
「そりゃ、似てるからだろ。…俺もそうだったし」
 そう言って一瞬ステアリングから両手を離して上げる三上。
 ちょっとヒヤっとしながらも、俺は苦笑した。
「そうかもな」
 出逢った頃の三上は、確かにそんな感じだった。
 それに比べて、今、横に座っている三上は随分と雰囲気が変わった。
「…あんたは素直になったよね、随分」
 思わずしみじみと言ってしまう。
 そんな俺の言葉に三上はくくっと笑って、言った。
「丸くなったってのかな。…俺もいろいろあったし」
 ――そう。
 渋沢や藤代たち、それに俺は高校を出てすぐにプロ入りした。
 が、三上は武蔵森の高等部を卒業してから大学へ進んだ。
 今はある大学のサッカー部で活躍している。
「どうなんだ、大学の方は?…サッカーの話はよく聞いてるけど」
 三上の所属するチームは大学選手権では常に上位だ。 
「まぁまぁ、ってとこか?周りにも恵まれてるしな」
 そう言って、フッと三上は笑った。
「そうだな、あんた、武蔵森の頃から人には恵まれてたよな」
 その俺の言葉に「監督以外は」と三上は言う。俺も思わず笑った。
 …そう。あの人は、良い意味でも悪い意味でも親馬鹿だった。
 それに振り回された、俺と三上。
 ――今じゃ笑ってしまえるような話だ。お互いに。
「んでも、確かに…」
と、三上は続けた。
「渋沢、藤代、笠井…ってな。でもお前もだろ?そういや、風祭のヤツも最近名前良く聞くようになったしな」
 風祭、シゲ…彼らも今じゃプロで戦う相手だ。 
「まぁな」
 俺はそう答える。
「懐かしい?」
 三上はそう訊いてきた。
「そうだな。でも楽しいね、戦えるのは」
 俺はそう答える。

 だが、心の中で言う。
 …アンタとも戦いたいんだけどな。

 ――でも、今はまだ、叶わない。 


 
 車は海の見える高台に停まった。そして、車から降りる。
 眼下には、夜景が広がっていた。
「こんな夜景みてると、自分がちっぽけに思えてくるさ」
 ガードレールのところで三上は両手をつきながら、そう言った。
「だから、失敗も挫折も些細なことに思える」
 俺は車のボンネットに腰を掛けて聞いていた。 
「…あんたは、いつも俺に欲しい言葉をくれるよな」
 俺はそう言う。
 すると三上はじっと見つめてきたかと思うと
「そりゃ、惚れてっから」
 そう言った。
「…」
 が、今度は俺が思わず三上を見入ってしまった。
「おい、何か言えよ」
 三上が苦笑しながら言う。
「…嬉しいんだ」
 こぼれた言葉。
 …嬉しかった、本当に。 
「辛きゃ言えよ、幾らでも」
 そう言った三上。そして、彼はひとつ溜息をつくと
「藤代がお前と同じチームだったならなぁ…アイツなら聞いてくれるだろうに」
 などと言った。
 が、俺は…。
「…あんたがいい」
 思わずそう言っていた。
 すると、三上は笑った。そして近づいてくる。
「そうか」
 ポンと置かれたその手は温かい。

 横に腰掛けた三上の肩に頭を置く。
 そして、そのまま二人で消えぬ地上の星をただ、見つめていた。
 

 ・・・・・


 あれからしばらくドライブして、俺達は水野のマンションになだれ込み、そして今、二人で一つのベッドにいる。 

 隣で眠っているとばかり思っていた水野がふとこんなことをこぼした。
「あんたが、同じフィールドにいればいいのに…」
 その呟きは静かな部屋にやけに響いて。 
「水野?」
 俺は聞き返すが、既に水野は寝返りを打って眠っている。
 下がっていた毛布をかけ直してやりながら。
「…俺もそう思ってるさ」
 そう言って、眠っている水野の髪にキスを落とす。

 

 …夜明けはまだ遠かった。

(Fin)

BGM:Ken Hirai;THE CHANGING SAME

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