Profile |
年に数度しかない外泊の出来る日は誰もが浮かれる。楽しげな声が響き渡る寮の玄関ロビー。 「じゃあ、またね。水野」 そう言って手を振る藤代や笠井を見送り、家がほど近い俺は最後の方まで残っていた。残っているのはあと数人で、耳をすまして話しているのを聞いてみればやはり皆、俺と同様家が近い者ばかりだった。俺もそろそろ帰ろうかと下駄箱に向かったその時、三上が階段を下りてロビーへやってくるのが見える。けれど、その手にはあるはずの荷物が見あたらない。 「あれ、三上。お前は帰らないのか?」 俺がそう訊くと、三上は頷いた。 「ああ。家、誰も居ないし」 ふわーっと眠そうな欠伸をしながらそう答える三上。確か他にはもう誰も残っていない筈だ。そこで俺はふと思いついて三上に訊いた。 「……良かったらうち来ない?」 「は?何で?」 俺の言葉に目を見開いて三上は訊き返す。 「別に。ただ、せっかくの休みに何も一人でここに残ってなくたって良いじゃん」 トラブル防止の為、各部屋はそのまま施錠されてしまうので、基本的に誰かの部屋の物を借りることは出来ないし、外出は出来てもセキュリティの関係上こういう時でも門限はある。せいぜい談話室でTVを観るか、情報室でネットをやるか、でなければ部屋で本でも読んでるしかない。静かに本を読めるのは理想的でもあるけど、本の世界から帰ってきて広い寮に誰も居ないんじゃ、読書好きの俺でもさすがに寂しいと思う。しかし、三上が 「俺、別に一人で居るの嫌いじゃないんだけど」 と、答えるその表情は余計なお世話だと言わんばかりだ。だが、三上はふと何か思いついたらしい。急に表情を緩め、その口から飛び出して来たのは唐突な質問。 「お前んちゲーム機、何」 何と言われても困るので正直に答える。 「ええと、多分全部ある」 「このお坊ちゃまめ」 と三上は言うが、どうも目的はそれらしく、いつもとは違うあまり嫌みのない口調。 「ああ、悪うございましたね。ただ言っとくけど全部俺のな訳じゃないからな」 俺はそう答える。それにふんふんと頷いて、 「判った。行ってやっても良い。その代わり、ゲームさせろ」 ニヤッと笑って三上はそう言い、俺の肩に手を置いてもたれ掛かる。それに俺は長い溜息を吐いて、横目でジロリと三上を見ながら言った。 「……アンタさ。それ、仮にも泊まりに来る人の言葉?」 「お前が誘ったんだろうが」 返ってきたのは心外だと言わんばかりの答え。じゃあ、ちょっと支度してくるわと三上は階上へと引き返していった。 「まぁ、そうなんだけどさ」 と、一人呟き、やっぱ一人にしとけば良かったか?と思ったが、まぁ言い出したのは俺だし、と諦めることにする。一人よりは多い方が楽しい、それは俺が桜上水で思ったことだ。 俺はポケットから携帯を取り出して二つ折りのそれを開いて、家へとダイヤルする。 久しぶりの我が家。キーは持っていたが、三上がいるので俺はチャイムを鳴らすことにする。 「ただいま」 「おかえりなさい」 出迎えてくれたのは母さん。俺は母さんに隣の三上を紹介する。 「これ、さっき電話で話してた、三上……先輩」 「はじめまして。お世話になります」 と、挨拶した三上はいつもより大人しく、母さんを失礼にはならない程度の視線で見つめていた。俺はそんな三上に訊く。 「どうかしたか?」 「――あ、いや。美人だなあと」 そう言ってヘラヘラと笑った三上の脇腹を肩肘で小突き、あがってと言う。 「お邪魔します」 と言い、三上が勧められるままスリッパを履くのを見ながら俺は、母さんに声をかけて階段へと向かおうとする。 「俺、ちょっと部屋片付けてくる」 「あら、掃除はしてあるわよ」 母さんはそう言ったが、おそらく本棚には子供の頃のアルバムや卒業アルバムが並んだままだろう。 「見られたくないものとかあるかもしれないじゃん」 と、俺が返事をすると、 「ほう、そんなものが」 そう言って三上がニヤッと笑った。それに俺は溜息を吐く。 「ああもう。良いから母さん三上にお茶、じゃなかったコーヒー出してあげて。ミルクも砂糖要らないって」 俺がそう言うと母さんは笑って返事をする。 「はいはい。――どうぞ、三上くん」 そう言って三上を応接室に案内する母さんを見送って、俺は自室へ向かった。 久しぶりの自室は確かに片付いてはいたけれど、俺はとりあえずアルバムの類とシゲが随分昔に勝手に持ち込んだままのグラビア――寺に煩悩の固まりは置いておけんやろ、とかいう理屈で持ち込まれてそのまま、多分忘れられている――を隠してから、応接室へと向かった。てっきり座って待っているだろうと思った三上は、壁際に立っている。 「この写真……」 そう言いながら、三上はキャビネットの上に置かれた写真立てを手にしていた。写真立ての形から三上が目にしているのは多分子供の頃の俺と母さん、そして親父が皆笑ってる小学生低学年の時の写真だろう。あれだけは仕舞っておいて欲しいといつも言うのに母さんは、あなたの表情が素敵だから、と言って取り合って貰えない。……恥ずかしいから、早く戻して欲しいと思うのに、三上はじっと何かを考え込むように見つめている。その横顔が思い詰めている時のものによく似ていて、俺は部屋に入れずそこに立ち尽くす。コーヒーカップとティーカップを机に並べていた母さんも、じっと見つめる三上に気がついたのだろう。 「ああ、それね。やっぱり可笑しいかしら。離婚したのにどうしてもそれだけは仕舞えなかったの。竜也がこんな無邪気に笑ってるの、この後の写真にはなくて、ね」 そう母さんに言われて三上はハッと顔を上げる。 「良い表情ですね、監督も、竜也君も」 三上はそう言い微笑んだ。その表情は酷く優しげで、でも何故か切なげで。俺は三上のそんな表情は見たことがなかった。 「そうね」 三上の言葉に母さんは少し驚いた顔をしたが、そう言って微笑み返す。そんな様子に俺はしばらくそこから動けずにいた。 母さんの作ってくれた夕飯を食べていると仕事の終わった伯母と叔母が帰ってきた。二人はすぐに三上に気がついて言う。 「何、お客様?あ、もしかして竜也のお友達」 「友達じゃなくて先輩の三上」 俺が箸を止めずにそう答えると向かいの席から軽い咳払いをされる。 「ええと、それは仮にもセンパイを紹介する言い方かな?水野竜也君」 笑顔をひきつらせて言う三上。それもそうなので一応紹介する。 「1つ上の三上亮先輩。サッカー部で世話になってる」 「お邪魔してます」 と、言った三上に「いえいえ、よろしく」と言った伯母は三上の顔を真正面から見て気がついたらしい。 「ちょっと、良い男じゃない」 そう言われたた三上が、 「は?はぁ」 と、困った声で答える。 「モテるでしょ?」 多分ルンルンという表現が合うようなテンションで三上に訊く叔母。 「いえ、俺、中学の時からずっと武蔵森で寮生活ですから」 三上は今まで聞いたこと無いような大人しい口調――親父は勿論コーチなど大人に対しては丁寧でもはっきりとした口調だ――で答える。 「またまたー。男子部女子部分かれてたって、きっと凄い評判よねー」 「ねー」 三上をネタにしながら当人を置き去りにして盛り上がる二人の伯母と叔母を見比べて三上は言い淀む。 「いや、その……」 年上の勢いのある女性陣に圧倒され、おどおどとしたような心底戸惑い困ったその顔は今まで見たことがない。だって、普段はチームメイトをからかって遊んでばかりいるような男。試合で困難な状況に立ってもそんな顔は微塵も見せず、むしろ挑むような表情を見せているというのに、勿論男子校コンプレックスもあるんだろうけど年上の女性に対してはこの様かと思うと、俺はもう笑いを隠しきれず吹き出す。 「ちょっ、何笑ってんだよ!水野」 三上が抗議の声を上げる。 「だってさ、アンタ普段逆の立場なんだぜ。なのにさ……クククッ」 ツボに入ってしまって俺は笑い続けてしまう。 「部の連中には絶対に言うなよ。頼むから。あといい加減笑うの止めろっての」 多分学校に居る時だったら軽く頭を叩かれてるとこだろうけど、さすがにうちの家族の前じゃ出来ないのでジロリと睨むのが精一杯の三上。着替えてくると言って二人が出て行ったのを見送ると、三上は俺に訊いてきた。 「……もしかしなくても、あれが前言ってたお母さんの姉妹なんだよな」 「ああ」 と、俺は頷く。 「大変だな、家族が多いってのも」 ふーっと溜息を吐いた三上が苦笑するので、俺もつられて苦笑した。 そんな夕食後、後片付けを手伝うと三上は言ったが――正直俺は驚いた――、母さんは「大丈夫。お構いなく」と言って断ったので、二人でゲームをすることにする。どうするかと、色々タイトルを見比べていた三上だったが、結局最新版のウイイレに落ち着くのはもうサッカー部員の習性みたいなものだろう。カチャカチャとキーを叩く音が重なる。 「あー、やられた」 久しぶりにやったのもあるが、それでもやっぱり負けるのは悔しい。根っからの負けず嫌いなんだろうという自覚はある。それに苦笑して言う三上。 「ゲームでくらい勝たせろよ」 「あと一試合やらない?」 俺がそう持ちかけると、三上は少し考えた後ニヤッと笑って言う。 「んー、今度コーヒー奢ってくれるなら」 「それくらいなら良いぜ」 「んじゃ、ついでに何かかけるか」 「調子にのんな」 そう言いながらゲームを再開する。友人なら当たり前であろう会話。それを家で三上と二人だけでしているのがちょっと不思議な気もしたけれど、それが俺には妙に楽しかった。 今夜は新月と朝のニュースで言っていた。更に遮光性の強いカーテンを使ってるから、常夜灯だけがうっすらと部屋を照らす。 「……三上、もう寝た?」 ベッドの上の俺はそう、そっと訊いた。 「いや」 と、床に敷いた布団の上から三上の返事が返ってくる。 「今日は無理に付き合わせて悪かったな」 俺がそう言うと三上は溜息を吐いて答えた。 「別に。無理してないし、本当に嫌だったら来てないぜ、俺は」 「そう、なら良いんだ」 俺はほっとして、そう言った。 「楽しかったな、久しぶりに。……良いな、家族が側に居るって」 三上がそう言うのに、 「まるで誰も居ないみたいに言うなよ」 と、俺がそう言うと三上が笑った気配がする。 「ウチはいつも居ない。忙しすぎる。小学生の頃からもうずっと、一緒にゆっくり過ごす時間なんてなかったな。武蔵森入る前からそうだったし、入ってからは一度も会ってないか」 そんな話を渋沢か藤代から聞いたことがある。今日だけじゃなく、外泊が出来る時はいつも三上だけが寮に残っていることが多いと。 「でも、側に居れば良いってモンじゃないだろ」 半分は慰め、半分は本心から俺はそう言った。それに苦笑しながら答える三上。 「お前の気持ちも判らなくはないけどさ、やっぱ俺には羨ましいかも、な、あんな――」 最後はほとんど眠りながら三上はそう答える。 何かを言いかけたその言葉はどこか寂しげに聞こえなくもなかった。そして、思う。三上の普段の姿は単なる強がりなんじゃないだろか。斜に構えた物言い、傲岸不遜な態度、その一方で俺に不意に向ける優しさ、借りたノートから覗えた繊細さ。どれが本当の三上なのだろうか。いや、その矛盾全てが三上亮そのものなのかもしれない。 すぐ側で聞こえる規則正しいその寝息につられ、俺も眠りかけたその時、三上の枕元の携帯が振動し床を鳴らす音が俺の入眠を遮った。階下に響くと家族に迷惑なので、俺は布団を跳ね上げ起き上がると急いでその携帯を拾い上げる。 「三上、携帯。電話かメール来てる」 三上の枕元に屈み込んでそう言い、揺さぶってはみたものの、んー、と唸るだけでまともな返事は期待出来なかった。皆がはしゃぐような遠征先でもいつも周りに構わず真っ先に寝て、一度眠ってしまったら最後、滅多なことじゃ起きなくて、その上寝起きがもの凄く悪く同室者は苦労していると聞いてはいたが、この様子だとちょっと明日の朝が怖い。 三上の携帯は二つ折りの外にもディスプレイがついている機種で、そこにはメール主の名が表示されている。暗闇の中浮かび上がる、その名前は「桐原総一郎」。その名を目にして思わず携帯を落としそうになったのを、これは三上の物だと思い出してギュッと握りしめる。震えているのは携帯のバイブ機能か、それとも俺か。 ……どういうことだ? そんな俺の混乱など知らず眠っている三上を見つめる。 ――なぁ、どういうことなんだ?三上。 手にした携帯を開いて、中身を読みたいと一瞬思ったがせっかく築いた信頼関係を壊すようなことは出来る筈がなく。それに、読みたいとは思うけれど、読んで何かを知ってしまうのはもっと怖い。 そんな時にふと思い出してしまう三上と親父の姿。練習や試合の合間などに話しているその姿は信頼しあった師弟そのもの。だけど、親父を見上げる三上の視線には何かそれ以上のものがある。そして、親父もまたそれを受け止めている。俺はそれを見る度どこか羨ましいような妬ましいような複雑な思いになる。それが親父に対するものなのか、三上に対するものなのか、そもそもその感情が何なのか判らないままいつだって俺は傍観しているだけ。 一つ知って、また一つ判らなくなる。 捉えられそうで捉えきれない、お前の姿。 俺は無性に捕まえたくて仕方無くなる。 今ならば誰も、恐らく三上さえも気がつかない。 俺は再度三上の枕元に屈み込む。そして、顔を近づける。寝息に触れた。そっと頬に手をやれば、三上は微かに身動ぐ。その動きにサラッと揺れる髪。俺は唇に触れると、自分の唇を重ねた。どれくらいそうしていたのだろうか。唇を離しても三上が起きる気配はまったくなかった。 ……気づいてよ。 本当に気がつかれたら困る筈なのに、俺は眠る三上の横顔を見つめながらそう思う。 そう、気づいてよ。俺の気持ちに。 俺はもう自分の気持ちに気がついてしまったんだから――。 |
| 2011.07.19 UP |