俺がT波大から強化指定選手となって水戸に入団してからもう1年が経とうとしていた。 J2第43節はホーム最終戦。笠松で徳島を迎えた試合は0−1で敗北。せめてホーム最後は人数こそ少なくとも熱心に応援してくれているサポーターの為にも勝ちたかったと思いながらも試合後のセレモニーを終えて、ロッカールームに戻りシャワーを浴びる。 「お疲れ様」 と、チームメイトやスタッフと声を交わしながら、ふと騒がしい声が上がっているのに気がついて俺はそちらへ向かう。集まっていたチームメイト達は皆テレビの画面に釘付けになっている。そして上がる悲鳴にも似た声。映されているのは日立柏サッカー場の中継だった。 「おい、ヴェルディ降格って」 「マジかよ。かつての名門がこうなるとはなぁ」 「懐かしいよな、カズ、ラモス、武田ってスターばっかだったのになぁ」 先輩選手達が話している通り、俺たちの世代にとっては彼らはスターで、ヒーローだった。そんな選手ばかりだったチームが降格した。確かに今はチーム名もホームスタジアムも違う。けれどやっぱり伝統あるチームなのには変わりない。 大きく映されるヴェルディの選手達。詫びるようにサポーターに大きく一礼する中にあるその姿は見慣れたもので、注目の若手ということもあるのかカメラは大きく寄る。知らず口から零れたその名前。 「藤代……」 すぐ前に座っていたMFの先輩選手――試合中組むのもあって良くして貰ってる――がその俺の呟きに気がついて、俺の方を振り返って言った。 「ああ、そうか。三上の後輩だっけ」 「はい、武蔵森で中高一緒でした」 俺はそう答えながらもどこか上の空で、ただ画面の中の藤代の姿から目が離せないでいる。 いつになく神妙にしてるその姿から、いつものあの輝きが失われたわけではない。だけど、そこにある藤代は俺が今まで見たことのないもので。 ――藤代。 その時、激しく胸に込み上げた衝動は一体何だったんだろう。その衝動のまま、俺はその夜、気がつくと東京へと車を飛ばしていた。 東京の藤代のマンションに辿り着いたのはもう真夜中と言って良い時間だった。オートロックの暗証番号は知っているからそのまま入り、部屋のドアの前に立つとチャイムを鳴らす。直接鳴らすのは俺だけだというのは藤代も判っている。そのまますぐドアを開けて俺を迎えた。 「珍しいッスね、先輩から来てくれるなんて」 明るい笑顔でそう言った藤代。言われてみればその通りで、いつも藤代から呼ばれてくることが多くて――その度俺は、何で俺がわざわざと悪態を吐いてみせてた――、自分から来ることは数えるほどしかない。 靴を脱ぎ、奥に進む藤代についていく。何度来ても比べてしまう、まだ学生の俺とは違って広い部屋のリビングは今日はどことなく雑多に思われて、帰ってきた時のままなのかジャケットが脱ぎっぱなしでソファに放り出されている。 「慰めにでも来てくれたんスか?」 藤代はそう言いながらキッチンの冷蔵庫から飲み物を出そうとしている。それに、 「そんなもの必要なタマかよ、お前が」 と、わざとそちらから視線を逸らしていつものように強く言い返して、ふと俺は気がつくのだ。藤代の、ほんの僅かな話し方や雰囲気の違いに。明るさは変わらない。影?違う。重みだ。何かを背負ったその重み。俺はそれに気がついた途端少しばかりの息苦しさを感じて、それを否定したいからワザとニヤッと笑って、 「そうだろ?」 そう言って振り向こうとして、いつの間にか後ろから抱きすくめられていることに気がつく。脇に当たる缶が冷たい。 「――俺はお前とJ2でやる為に水戸に入ったんじゃねぇよ」 腕の中で俺は振り向き、そう強く藤代に言った。その俺の言葉に自嘲にも似た苦笑いを浮かべる藤代。そんな笑い方するな、と俺は内心で思う。そんなのは、お前には似合わないんだ。 「そう言うと思ったッスよ。……って、三上センパイ?」 藤代の胸の中でそれ以上俺は何も言えず、ただ背中に回した手に力を込める。 何故だろう。一番悔しいのは当人の藤代の筈なのに、何故か俺の方が悔しい気がする。 ――でも、そうなのか。 きっと俺は自分で思っている以上のものを藤代に託していたんだろう。 ずっと天才と呼ばれ、その年代の中で常に先を行く者で有り続ける藤代。 ポジションは違うけど、いや、違うからこそ藤代の凄さはよく判ってたし、普段は邪険にしてたけど本当はずっと頼りにしてた。難しいパスでも藤代ならば、と思って何度出したことだろう。 そして俺は気がつく。強く求められるから流されるように受け入れていたのだとばかり思い込んでいた自分が、思っている以上に惹かれていたのだと。いや、本当はずっと前から気がついていた。ただそれを俺は素直に認められずにいただけなんだ。 俺は顔を上げる。そこにあるのは藤代の不思議そうな顔。 「センパイ?どうかして――」 笑顔を一つ浮かべ、そして自分から藤代の首に手を回す。それに藤代は持っていた缶をソファに放り出す。すっかり冷えてしまった藤代の手が俺の頬に触れてひんやりとする。重ねられる唇をそのまま受け止める。 「同情も慰めもしねぇよ。ただ、必要なら必要としてくれ」 俺はそう言った。それに藤代は今夜初めてちゃんと普通に笑った。 「本当は来て欲しかったッスよ。よっぽど呼ぼうかと思ってた。だから来てくれて嬉しいッス」 強く抱きしめられて俺もそれを抱きしめ返す。そして、そのまま俺は藤代の全てを受け止める。 気がつくと明け方に近い時間だった。シャワーを浴びて、少しでも寝ようかと思ったがどうにも頭が冴えてしまった。ゴロンと、これまた俺のとは違って広いベッドに横になって、同じく隣に横になってる藤代に何となく訊いてみた。 「ちなみにどうなんだよ、これから」 藤代はそれにうーんと唸ってから答える。 「さぁ、多分移籍ッスかね。うち、今お金ないみたいだし。逃げ出したって言われても仕方ないけど。俺はもう多分あそこじゃヒーローにはなれない。ただ三上先輩、アンタだけのヒーローではいたいッスけどね」 最後は冗談ぽく笑って藤代は言ったが、内容はあまり穏やかじゃない。自分のチームの貧乏っぷりはJリーグでも屈指なものだから、あまり他人事ではなかった。 「チーム事情なら仕方ねぇじゃねぇか。俺と違ってオファーは山ほどあるんだろ?」 俺がそう言うと藤代は頷いた。 「まぁ、そりゃ。一応海外の話もあるッスけどね。というか、本当は前からあったんだけど」 言われて気がつく。確かに藤代の実力ならばその可能性があってもおかしくはなかった。ならば藤代はチームの為に一度はそれを蹴ったということではないか。だとすれば、今度は自身の為を選んでも良い筈じゃないかと俺は思って、 「せっかくだ、海外行っちまえよ」 そう言った。きっと藤代にはその資格も実力もある。ただ、そんな俺の言葉に藤代は俺をまじまじと見て、こう訊いた。 「……ねぇ、それ寂しくないの?」 それも確かにその通りで。寂しくないと言ったらきっと嘘になるだろう。だけど、俺はそれ以上のものを藤代に望んでるから、こう答えた。 「俺だけのヒーローでいてくれんだろ?だったらどこへ行ったって一緒だろ。俺にはお前の才能が埋もれる方が勿体ねぇよ。ま、簡単に会えなくなるのは寂しいかもしれねぇけど。代表で呼ばれて時々戻ってくりゃ良いじゃん」 そう言った俺に藤代がニッと明るく笑って言った。 「センパイってさ、本当は俺のこと凄く認めてくれてるし大好きでしょ」 俺は隣にあるその頭を軽く叩いて言い返した。 「バカじゃねぇの。今更言うな」 ……本当に、今更だ。 成田空港の屋上から飛び立つ飛行機を見送る。定刻通りならば、今動き出したあれがそうだろうか。 「良かったのか?」 後から見送りに来た渋沢が自分のお茶と一緒に買ってきてくれた缶コーヒーを寄越しながらそう訊いてきたので、俺は頷いて答える。 「ああ。どうせアイツはいずれこうやって旅立ってたさ」 その俺の言葉に一口お茶を飲んでから渋沢は答えた。 「だろうな」 「お前は良いのかよ、渋沢」 ここまできたらもはや腐れ縁かと思う程、大学まで同じになった同級生に俺はそう訊く。もっとも渋沢は高校卒業と同時に鹿島に入団していて、勉学の為だけに大学に通っているから、顔を合わせるのは講義が被った時くらいだが。ただ、渋沢にとっても藤代は付き合いが長く可愛がっている後輩だ。色々思うところはあるだろう。 「キーパーはコミュニケーションが重要なポジションだからな。もう少し勉強してからさ」 渋沢が語学系の勉強を熱心にしているのは今その手にしてる本を見ても判る。 「こんなに皆が皆、海外に行く時代になっちまったんだな」 また1機また1機と離陸し着陸する飛行機を眺めながら俺はそう呟く。 「そうだなぁ」 この隣にいる同級生もいずれは海外に渡るだろう。そして早ければそれも数年内のことだろうと俺は思う。同じJリーガーでも随分と差があると思ってみても、それこそJ1上位の鹿島の守護神や藤代と比べたって仕方無い。今の俺に出来ることは完全に水戸でレギュラーに定着することだろう。そして水戸の成績を少しでも上げること。そう、俺には俺で目指すものはあるから。 「まぁとりあえず、俺は俺の居場所でせいぜい頑張ってみるさ。見てろよ?いばらきサッカーフェスティバル」 俺がそう言ってニヤッと笑うと、渋沢も力強く頷いて答える。 「ああ、楽しみにしてるさ」 水戸というJ2でも資金がなくて色々風変わりなチームではあるけど、逆に頑張ってみようかという気にさえなれる。だから、俺は俺なりに出来る道を全力で行く。そう、旅立つ藤代に誓った。そして、そのまま心の中で語りかける。 ……なぁ、藤代。言ったことはなかったが、お前は太陽のように眩しいから、どこかウザったくて、まとわりつかれた俺は出会った時からあんな態度ばかり取ってた。だけど、本当はきっともうその時からその光に惹かれてたんだろう。でなけりゃ、きっと俺はお前など見向きなどせずにいただろうから。 お前がどこへ行こうと、誰がお前を悪く言おうと、きっと俺にとってはお前はHEROであり続けるから。だから、何があっても俺だけはずっとお前を信じ続ける。 |
2011.09.25 UP |