手を伸ばしても、掴めずに。
 ふっと、君はすり抜けて、
 ――いつの間にか消えていた。

「…三上?」

 では、この手に残された温もりは、
 一体何だというのだろう…。

even if

…いつか、分かれてしまう道だとしても



 眩しいほどの光に、目が眩んだ。
 そして、覚醒。

「夢か…」
 思わず呟いていた。そして、むくりと起きあがる。
 その気配に気付いたらしく、振り返る同室者。
「あ、起きたか?」
 そう言う三上は既に着替えを済ませ、鞄を手にしていた。
 今日は三上の大学入試の日だった。
 …もっともサッカーの推薦入試だが。
「行くのか?」
 俺は言う。
 その大学はちょっと離れているため、もう出なければいけない時間のようだ。
「ああ」
と返事をした三上。そして、すぐに背中を向け、鞄の中身を確認している。

 その背中。
 夢の欠片。
 急に遠くに感じてしまう、存在。
 …三上

「あのな、三上」
 俺は呼んでいた。前から思っていたことを言おうと思った。
「何?」
 三上が再び振り返った。俺は彼を見つめた。そして言う。
「…高校を出ても、一緒に暮らさないか?」
 そんな俺の言葉に三上はキョトンとする。
 ――沈黙。
 そして、次の瞬間、弾けるように笑って言った。
「受験に行く人間に、そんな言葉言うヤツいるかよ」
 …確かにそうは思ったが、今言いたかった。
「ま、確かに俺なら、多分大丈夫だろうけどな」
 くくくっと笑いながら言う三上。そして、こんどはふっと微笑むと
「――考えとく。じゃあな」
 そう言って三上は出ていった。
 パタンと閉まるドアの音。
 それは、まるで二人を分けるようだ。

 …いつの間に、俺達の間はこんなに開いてしまったのだろう?
 そして、これからも開いていく一方なのだろうか?

 ――そうは思いたくなかった。


 ・・・・・

 まだ朝早い食堂に人は少なく、俺は一人で座る。
「そっか。三上先輩、今日入試なんですよね」
 ふと後ろで呟かれた声。
「藤代」
 振り返れば、藤代がいた。
「おはようございます、渋沢先輩」
 そう言う藤代。後ろには笠井もいて、挨拶をする。
「先輩はもう決まってますもんね、進路」
 にっこりと笑って藤代が言う。
 …そう、藤代の言うとおりで、俺は高校を出てからプロに入ることがほぼ決まっている。
 多分、横浜にあるチームに入ることになるだろう。
「俺も来年は、プロに行きますからね」
 それが当然のように言う藤代。
 多分、その通りなのだが、大した自信だ。藤代らしいと言えば藤代らしくて。
 ふと見れば、横で笠井が笑いをこらえている。
 そして、笠井はこんなことを言った。
「じゃ、俺は三上先輩と同じとこ行こうかな」
 すると藤代が言う。
「竹巳、狡ィ」
「何がだよ、逆だろ」
 更にそう返す笠井。
 
 …それぞれに違った道があって。
 一つだった俺達も、皆、バラバラになっていく。
 ひょっとすれば会うことすらなくなる。
 そして忘れていくのだろう。

「渋沢先輩?」
 ふと笠井が心配そうに、俺の顔を覗き込んできた。
「いや…何でもないよ」
 そう笑って返すものの、胸の内は晴れない。

 皮肉にも、その日の空は快晴で。
 俺はただそれを見ていた、教室の窓から。
 空いた目の前の三上の席。 
 …多分、彼も離れた場所でそれを見ているのだろうと。

 そうして、1日が過ぎていく。


 ・・・・・

 三上が帰ってきたのは、日が暮れる直前だった。 
「はぁ、疲れた」
 帰ってくるなり、そう言った。
 そんな三上に「おかえり」と言い、
「どうだった?」
と聞いた。すると、
「そりゃ、ばっちり」
 ニッと笑って言う三上。
 言いながら上着をハンガーに掛けクローゼットにしまい、ラフな格好に着替えている。
 その間に、俺はコーヒーを淹れる。
 そして三上が着替え終わり、ベッドに腰掛けたところでカップを差し出した。
「お、サンキュ」
 そう言って三上は受け取る。

 コーヒーを飲みながら三上は「あの面接官、つまんねぇこと訊きやがる」などと、言う。俺は黙ってそれを聞いていた。 
 そして会話が途切れたところで。
「…考えてくれたか?」
 俺はそう切り出す。
 すると、三上はちょっと間をおいて
「ああ」
と答えた。
「…どうせ、今更実家に帰る気もしないし、お前となら悪くない」
 そう言って、笑った三上。

 知らず手が伸びていた。三上の手からカップを奪い、置き、
 ただ、彼を抱きしめる。
「渋沢?」
 驚いたような三上の声。
 でも、この手が振りほどかれることはなく、いつか俺の背中に回されていた彼の手。

 
 …いつか、分かれてしまう道だとしても。
 とりあえずは、居られる間だけでも、

 ――君と共に。
  

                           (Fin)

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