――溢れるくらい水をあげている
借りていた本を返そうと訪れたキャプテンと三上先輩の部屋。 その部屋の主の一人は、窓辺に座って鉢植えに水をやっていた。 …その鉢植えは、サボテン。 「珍しいことしてますね」 俺はクスッと笑いながら言った。 「あぁ?」 こちらを見る三上先輩。 しかし、珍しいとは言ったものの。 サボテンに水をやるその姿は、妙に似合っていた。 ――サボテンと三上先輩。 …結構似てるかもしれないし。 「何がどう珍しいっていうんだ?」 三上先輩はそう訊いてきた。 「何か、植物と縁なさそうなんですよね」 そう言う俺。 「んなこともねぇだろ」と、否定する先輩。 「芝だって、立派な植物だぜ?」 ニッと笑ってそう言われ、俺は「ああ…」と頷く。 緑一面のフィールド。 確かに芝は生きていて、俺達はその上で同じように生命の光を輝かせる。 「そうですね」 と言って、先輩とサボテンに近づいた。 小さな鉢植のサボテンは小振りで、 それでもその棘を必死に主張して。 …やっぱり、三上先輩に似ていると思う。 俺は水差しを手にしたままの彼に言った。 「あんまり水やりすぎない方が良いですよ」 すると先輩はふっと笑って 「わかってるって」 と言う。 俺はその手を引き寄せて、唇を重ねた。 ・・・・・ 雨で久しぶりに1日オフになったある日、今度は誠二と共に、その部屋に訪れていた。 誠二がキャプテンに用があるといい、俺はそのお供だ。もっとも俺の目的は三上先輩…とサボテンのその後だったか。 さすがFWというか、めざとい誠二はすぐにサボテンに気が付いた。そのサボテンは、今日は窓辺ではなく三上先輩の机の上に置かれている。 「先輩、そのサボテンどうしたんスか?」 誠二が三上先輩に訊く。そう言えば、どうしてサボテンがこの部屋にあるのかは聞いていなかったなと思い、俺も先輩を見る。 「…俺じゃねぇ、持ち込んだのはコイツだ。んで、押しつけられた」 渋沢先輩を指差しながら、三上先輩は答えた。 「渋沢先輩が?」 俺は訊く。すると渋沢先輩が頷いた。 「ああ、クラスに置かれてたのを引き取ってきた。誰も面倒みないしな」 そう渋沢先輩は続けた。そして、ちらっと三上先輩を見る。 「んだよ、俺ぐらいだったって?」 不機嫌そうに言う三上先輩。 「ああ」と微笑んで答える渋沢先輩に、三上先輩は顔をしかめた。 その先輩とサボテンを見比べて、誠二はこんなことを言った。 「でも。なんか、先輩とサボテンって似てるような気がしますけどね」 …誠二らしい、その感性。 やっぱり俺と同じことを思ったようだ。 渋沢先輩も思うところがあるのか、笑っている。 一人憮然とする三上先輩。 「なんだよ、お前ら」 先輩はそう言って、水差しを手にして歩き出す。 「あれ?どこ行くんスか?三上先輩」 誠二がそう訊くのに、 「水やるところだったんだよ、なのにお前らが来るから。…渋沢あとは頼むぜ」 そう返し後半は渋沢先輩に言い、そして、ちらっと俺を見て笑う先輩。 先輩は部屋を出ていく。その姿をを見送って誠二が言った。 「サボテンって水いらないんじゃないスか?」 …砂漠に生えてるんだし、と誠二は言う。それに笑って 「まぁ、他の観葉植物に比べれば、だな」 と言う渋沢先輩。 「そりゃ、そうですけど。…ってことは、三上先輩、意外としっかりと面倒みてるんですね」 誠二はそう言った。その誠二の言葉に 「まぁ、三上らしいというか…」 と笑う渋沢先輩。そこで先輩は俺をちらっと見た。 …ふと、何か引っかかった。 「竹巳?」 誠二が俺の顔を覗き込んでくる。 「ううん、何でも…」 そう誤魔化す俺。だが…。 俺の前のあの人はどうだったか、思い出してみる。 ――渇きを満たすモノを求めていたのは、あの人の方じゃなかったのか? …俺の中で、何かが音を立て始めている。 ・・・・・ 雨は夕方前にはほとんど止んでいた。雲の切れ間から夕陽が見えている。 ふと本を忘れて来たことを思い出して、夕方、先輩達の部屋に再び向かった。 「開いてる?」 俺は呟いた。 その部屋の扉は僅かに開かれていて、ちらっと見えた。そこには…。 ――夕陽の差す窓辺でサボテンを見つめている三上先輩。 そして、床に投げ出されている、空っぽの水差し。 …その綺麗な横顔が、酷く憂いを帯びていて。 何か、見てはいけないモノを見てしまったような感じだった。 俺は部屋に入ることが出来ず、後ずさる。そして部屋に戻ろうとして、廊下でぶつかった人。 「渋沢先輩」 ちょうど彼が戻ってきたところだった。 俺の表情がおかしかったせいだろう。 「…どうかしたのか?」 そう渋沢先輩は訊いてきた。 「いえ…」 俺は誤魔化そうとしたが、意を決して聞くことにする。 「今、ちょっと良いですか?」 俺はそう言った。すると渋沢先輩は微笑んで、 「構わないよ」 と言った。そして 「何か飲みながらにしないか?」 とも言い、俺はそれに頷き、彼について階下へと向かった。 夕陽は自販機前の床にも落ちて、世界を紅く染めている。 …さっき、三上先輩を染めていたように。 「何かあったのか?」 カップ入りのコーヒーが半分過ぎたころ、渋沢先輩は訊いてきた。 俺は頷いただけ。あとは沈黙。 渋沢先輩は根気よく俺の言葉を待ってくれた。 そして、ようやく口を開いたものの 「…いつもあんな、なんですか?」 としか言わない俺に、渋沢先輩は一瞬不思議そうな顔をしたが、すぐに察したらしい。誰のこと、何のこととは聞かなかった。 ただ控えめに 「…最近は、かな」 と答えた先輩。 「そう、ですか…」 俺はそう言う。そして、ふたたび沈黙。 …少しばかり躊躇った様子を見せたのち、渋沢先輩はこう言った。 「ちょっと甘やかしすぎたんじゃないか?」 その言葉に俺は顔を上げた。 「え?」 言われ、振り返る 食い違うときはいつも俺が先に折れていた。 だから、喧嘩をしたという覚えはほとんどない。 求められるままに与え、縛ることもなかった。 …だって、 孤独が好きな癖に誰より寂しがり屋なのが、三上先輩だと思っていたから。 でもそれを甘やかしだというのなら。 「…そうかもしれません」 俺はそう言う。 …そう認めるしかなかった。 ――でも、だからといって俺に何ができたのだろう。 俺は手のひらの空になったカップを握りつぶす。 渋沢先輩は何も言わず、ポンと俺の肩に手を置くと、その場を立ち去った。 残された俺はただ、ぼんやりと壁の染みでも見つめているしかなかった。 ・・・・・ ある晩、ロビーで三上先輩の姿を見た。 先輩は電話している。その声が僅かに聞き取れた。 「水野、お前な…」 ――聞き覚えのある名前。 たしか、監督の息子だとか言う。 春の試合で一度だけ戦った相手。 桜上水の10番。 …先輩のポジションを脅かした人物でもあるのに。 ――いつの間に、そんな電話で話す間柄になっていたんだか。 でも、俺は先輩の口からその名を一度も聞いたことがなくて。 持っていた本が僅かに震えている。 否、俺の身体が震えている。 ――多分、終わったと、俺はもう気が付いている。 先輩は俺に気が付いていないようで。 受話器を置くと、ふっと溜息をつき呟いた。 「…ったくあの馬鹿」 そう言う、その表情は穏やかで。 棘なんてどこにもなくて。 …水をやりすぎたのは、俺の方だったのかもしれない。 そうは思ったのだけど。 ――もう、遅い。 (Fin) BGM:ポルノグラフティ;サボテン |