選抜選考合宿が終わって四人が松葉寮へ帰ってきた。誰かがそれを知らせると決して広くはないロビーは寮生で溢れかえった。 「どうだった?」 集まってきていたチームメイトに取り囲まれる四人――と言っても、間宮はすっとその輪から抜け出していたが――。嬉しそうに報告する藤代と頷く渋沢先輩、その横には三上先輩が居て、 「三上は?」 と訊かれていた。それに顔見合わせる藤代と渋沢先輩。それで結果は察したが、 「ん、俺はダメだった」 と、笑って三上先輩は答える。そんな彼を俺は離れたとこで見つめていた。 ……本当は悔しいくせに。 無理して笑ってみせてるそんな姿は痛々しくもどうにも三上先輩らしい。恐らく彼はこんな時他にどんな表情をしたら良いのか知らないんだろう。正直に憤ったり悔しがることも、ましてや泣くことなど出来ない筈。そう、誰よりも負けず嫌いでプライドが高い……ように見せかけて、いつか自分でもそう思い込もうとして。だけど、本当は傷つきやすくて繊細で。でも多分、そのどちらもが三上先輩、その人なのだろう。 自分を取り囲む輪の外に俺の姿を見つけた三上先輩はこちらを見て微笑んだが、それでも何も言わず階段を上がっていく。向かった先は多分部屋ではなくて情報室だろう。そうは思ったが、……まぁ、しばらくは一人にしておいた方が良いか、と考えて俺がその場を去ろうとすると、 「笠井、ちょっと良いか」 と、後ろから声をかけられる。 「はい?」 返事をし俺は振り返った。そこには渋沢先輩が立っていた。 大浴場に繋がる廊下の前で予想通りやってきたその人に俺は声をかける。 「どこへ行くんですか?」 「笠井」 靴を持った三上先輩が俺の名を呼んだ。 「渋沢先輩に言われましてね、先輩をよく見とくようにって」 あの後、呼び止められた俺は渋沢先輩にそう頼まれたのだった。もっとも言われずともそのつもりではあったが。 「……ったく、渋沢め」 舌打ちして忌々しそうにそう言う三上先輩。確かに大きなお世話だと思うだろうが、渋沢先輩が心配するのも無理はない。そう、無理をされて身体を壊されたら一大事なのだ。だが、本人にはその自覚はない、というより今はそれを気にしてる余裕がないと思われる。判らないではないが――。 「で、抜け出してどこへ行くつもりだったんですか?」 溜息混じりに俺がそう問えば三上先輩は答えた。 「グラウンド」 どういう訳なのかこの人は意外なところで素直なのだ。それに妙な関心をしながらも俺は言った。 「今日ぐらいちゃんと休んだ方が良いですよ。疲れをとるのも選手の務めでしょう」 それにぶっきらぼうに三上先輩は答える。 「少しくらいなら大丈夫だろ」 それに思わず眉を顰めて俺は言う。 「アンタの『少し』は当てにならない」 あまり知られてない、というか隠しているようだが意外と練習熱心なのを俺はよく知っているから、それこそ「少し」が「少しでない」ことも良く判っている。そんな俺の心配を他所に三上先輩はこんなことを言い出した。 「だったら一緒に来れば?」 まったく、言い出したら聞かないのもこの人らしいところで。俺は溜息を吐いてから答える。 「……判りましたよ」 それは完全に根負けした形だった。俺は靴を取りに行くと、三上先輩に続いて寮を抜け出した。 夏の夜のグラウンドには虫の鳴く声と風が木を揺らす音だけが響いている。当然この時間に照明灯など点いていないから、明かりは月の光のみ。何度駄目だと止めても、どうしてもと言い張る先輩に、 「10球だけ」 と言えば、大人しくそれに従った先輩はその10球に全ての気持ちを込めるかのようにゴールに向かって一人ボールを蹴り出す。俺はそれを静かに見守る。鮮やかなフォームとその軌跡。それは完全で文句の付けようがない。武蔵森のMFの中では敵う者はいない筈だ。それでも先輩が落ちたのは広い世の中、上には上がいるということも当然あるだろうが、多分それだけじゃないんだろう。……そう、今の10球は正直なところ久しぶりに見た鮮やかさだった。これが本来の三上先輩らしさ。でも、それが出せないでいたのならやっぱり落ちたのは仕方無いのかもしれない。 ボールを蹴って少し三上先輩は落ち着いたようだった。それまでどこか硬かった表情が少し柔らかさを取り戻している。 そして俺から顔を逸らすと、先輩はぽつりとこんなことを言った。 「お前は慰めてはくれないんだな。まぁ、渋沢や藤代にしたって何も言わねぇけど」 「だって、優しくしたら付け上がる」 その俺の言葉に振り返った三上先輩は苦笑して言った。 「冷てぇの」 それはワザとのつもりだったが、ついでに俺はこの際はっきり言っておきたくてそれを口にする。 「はっきり言ってこのところのアンタは冷静さを欠いてた。特にあの噂以来ね」 それに黙る三上先輩。一番痛いところを突いているのは判っている。だけど、忘れてほしくなくて俺は言う。 「何がどうあろうと、アンタはアンタじゃないんですか?三上先輩」 そんな簡単に言い切るな、と言われるかと思ったが三上先輩は怒るでもなく、ただフッと嗤って呟くように言った。 「俺は俺ね……。そりゃそうは思うさ。けど、実力を思い知らされて何も感じないほど俺は目出度くも出来てないし、もう気持ちは切り替えて夏の大会のことしか考えないつもりでも本当はやっぱり悔しい」 それが正直な気持ちなのだろう。だったら――。 「……最初からそうやって言ってくれれば良かったんだ。一人で勝手に悩んで一人で勝手に暴走して一人で勝手に失敗して。アンタは甘えるとこ間違えるんだ」 監督が倒れる前、その息子である桜上水の水野の、編入の噂が流れた辺りから様子がおかしかった三上先輩。それはプレイにまで及んでいて。誰にも俺にさえ何も言わず一人で勝手に悩んで足掻いて。心配をかけたくないと思うのは判らないでもない。俺が頼りにならないと思ってる訳じゃないのも判ってる。それでも俺は頼って欲しかった。時にこうやって振り回されることもあるけれど、先輩のことを本当に迷惑だなんて思ったことはないのだから。だからこそ俺は三上先輩にこうやって憤っているのだ。半分は頼られなかった自分への憤りもあるけれど。その上、ここにきてまで先輩は俺へ本心を隠す。この人が欲しいのは慰めじゃない。同情でもない。ただ、今あるがままの自分を受け入れて欲しい、そう思ってる筈だ。 「笠井?」 不意にどうしてもそうしたくて、抱きしめた俺を三上先輩が戸惑ったような声で呼ぶ。 「せめて俺の前でまで強がるの止めたら?三上先輩。悔しかったら悔しいって言えば良いし、泣きたかったら泣けば良いじゃないですか」 俺がそう言ったらそれまで作っていたのだろう三上先輩の表情はみるみるまに崩れていく。露わになる本心と共に。ただそれでも、最後の最後まで意地を張り続けるかのように、 声を上げることもなくただその頬を濡らして。俺はその涙の痕を指で拭って微笑むと言った。 「ああ。でも、そうやって強がるのもアンタらしさなんだっけ」 そうなんだ、誰よりも頼って欲しいのに、多分そんな簡単に頼られたら俺は早々に三上先輩を手放しているだろうと思った。きっと俺はこの人のこういう意地っ張りなところや、抱えてる矛盾が好きなのだ。傲岸不遜、傍若無人なくせに繊細で傷つきやすくて。そんな三上先輩だから惹かれたのだと俺は思う。 一方そう言われた三上先輩は、 「……敵わねぇよ、お前には」 そう答えて笑った。そこにはもう帰ってきた時の悲愴さはどこにもなくて。俺はそれに安心しながら唇を重ねる。大人しくされるがままの三上先輩。 ――先輩はそう言うが、本当に敵わないのは俺の方だ。だって、どうやったって三上先輩のことを一番に気にしてしまうのだから。 いっそ、ずっとこの腕の中に居てくれれば良いのに。そうは思ってもこうしていられるのもあと数ヶ月。その後は一年は離れていなければいけない。その時になってみればきっと一年なんてあっという間だろうけど、今はどうにも長く思えて。 ……俺も本当は強がってるんだ。その日が来て二人のこの関係がどうなるか判らないのが不安でたまらないのに。 それでも今はただ、先輩と一瞬でも長く同じピッチに立つことを考えようと思って。時々こうやって抜け出して練習しているのに付き合おうかと思う俺だった。 |
つよがり 2011.11.03 UP |